HSP/HSCの概念の有用性と危険性


最近、「自分はHSP(Higly Senstive Person)だとおもう。うちの子はHSC(Highly Senstive Child)では?」とおっしゃるかたにたくさん出会うようになりました。

HSP/HSCはもともとアメリカの心理学者であるエイレン・N・アーロン博士が提唱した概念であり、環境刺激に対する感受性や応答性が高い、ひといちばい敏感な人、子どものことです。
5人に1人程度の人が当てはまるとされます。

精神疾患や性格上の問題ではないというところから「生きづらさ」の原因として一般受けしてブームのようにもなり、最近は「繊細さん」という呼び方でカジュアルに広まっているようですね。

自己理解や支援のためには有用な概念であると感じる一方で、さまざまな角度から研究されている神経発達症の診断に比べると、その判定のための質問紙も精緻ではなく研究も少ないです。


研究が不十分なまま急速に広まったため、スピリチュアル業界に広まり、残念ながら具体的な解決法が示さないまま囲い込む儲け主義の怪しい民間HSPカウンセラーなども跳梁跋扈しているようです。

ですので、HSP/HSC概念は、医療や教育などでの標準的な共通の概念、あるいは科学や精神医学のアカデミズムの世界で用いられる概念ではなく、あくまでエンパスやサイコパス、アダルトチルドレン、カサンドラ症候群などと同様、ポピュラー心理学の分野の話と言えるかと思います。


医学的な診断、学術研究や調査で使われる診断基準(疾患や障害のカタログ)であるアメリカ精神医学会のDSM5、行政や統計などで使われるWHOの診断基準であるICD10にはこの診断基準は収載されていません。


我が国ではベストセラー「子育てハッピーアドバイス」シリーズで有名な心療内科医で子育てカウンセラーの明橋大二氏が、アーロン博士の本を翻訳したりして、HSCのスポークスマンとして講演や出版をおこなっているようです。

とりあえず明橋大二先生の以下の本を読んでみました。

この本はさほど奇抜な言説もなく、アドバイスなども含めとてもよい本だとおもうのですが、いくつか突っ込みたいところもありました。

病院で診断してもらう必要ある?

HSCのは病気ではなく持って生まれた性格です。ですから治すものではありません。よく誤解されますが、発達障害とも違います。感覚的に敏感なところは似ていますが「人の気持を腫むのが得意か、苦手か」が異なります。自閉スペクトラム症の人は、人の気持を読むのが苦手ですが、HSCはむしろ人の気持ちがわかりすぎるくらい分かってしまうところが違います。(24p)


アーロン博士もHSPとASDは違うと言いたかったようで「HSPは発達障害とは違います」と断言している言説(特にネット記事)も多いようです。

ですが、私は神経発達症との関係でいうと、DSM5になりアスペルガー症候群も含めてASDにまとめられ、ASD(自閉スペクトラム症)の診断基準に感覚の過敏さ過鈍さも記載された現在、HSP/Cは、ASDの過敏性が強く受動的で共感性が強いタイプ(多くは学校や社会でカモフラージュしており過剰適応している)とオーバーラップしているとおもいます。

DSMなどの操作的診断基準では外部から観察された社会的コミュニケーションや、限定された反復的などの行動様式などから診断します。一方、当事者や親としては感覚のことを起点したHSPのほうがたどり着きやすく、「共感性が高い」、「内面が豊か」、「芸術感受性が高い」というようなポジティブな側面に光を当てているため「自閉」といった言葉のイメージよりもHSP/Cのほうが受け入れやすいのも理解できます。

またASDと診断するにはその症状が社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしている支援が必要)という要件もあります。
ですので、易刺激性に対してASDに適応のあるお薬(リスパダールやエビリファイ)をつかったり、障害者手帳(精神保健福祉手帳)を取得したり、診断をもとに合理的配慮をもとめたりという場合には現状ではASDと診断することになります。

発達の土台である感覚の問題をそのままにしていると、いづれコミュニケーションの困難、適応の問題などもでてくるでしょうから程度によってはASDと診断されることになるのでしょう。

もっとも医療や教育においても感覚の特異性から本人の困難を読み解いたり、支援していく方法は注目されるようになってきており、SP(Sensory Profile)などの標準化された質問紙などによるアセスメントや、それをもとにした環境調整、ツールの活用、感覚統合などの治療的支援も必要なケースではなされるようになってきています。
こういった検査や治療自体は残念ながら保険適応はされておらず、作業療法や療育の中で行われることが多いようです。


保育園や学校での加配や特別支援教育、各種手当や控除、障害年金、福祉サービスなどの公的な支援が必要ではない程度であり、自分や子どもがHSP/Cであると言うのがしっくり来るのであればそれはそれで良いのではないかとおもいます。

要は必要な理解や支援を得て、その子にあった環境をもとめつつ二次障害にならないように育てればよいのでしょう。
また、成人は自己理解やセルフケアのヒントとして使えれば良いのです。
どちらにしろ類型診断であり、理解や支援のための仮説ですので。

好奇心旺盛なチャレンジャーは、HSCではない?
  〜刺激をもとめるHSS(刺激探究型)の子がいます

HSCなのに、刺激をもとめて、かえって疲れ果ててしまうタイプがいます。退屈しやすく、新しいもの好き。スリルや冒険を求めて外へ行きたがる。好奇心が強くいつも「予測不可能」といわれるような子です。こういう性格をHSS(High-Sensation Seeking・刺激探究型)といいます。この性格はHSCの敏感さと矛盾するように思いますが、それぞれ独立した気質です。そうすると常に新しいものを求めながら、その刺激に圧倒されて疲れ果ててしまうということが起こります。(28p)


まるでパラレルワールドのようですが、こちらもHSS≒ADHDといっても良いと思います。
これもDSM5ではADHDとASDの併存がやっと認められたことですしね。
積極奇異型のASDとも重なりますかね。
ただ当事者としては、ADHDの不注意、衝動性、多動性と外から目線で言われるより、HSSという方がしっくり来るかもしれません。

発達障がいなのにHSCのと誤解してしまうことはないでしょうか?
それで必要な支援が後れてしまわないか心配です。


私はそれほど問題がないとおもっています。なぜならHSCのにとって必要な支援と発達障がいに必要な支援は、それほど違いはないと思っているからです。
いちばん大切なことは、自己肯定感を育むこと、そのために必要なのは気持ちに共感するとか、本人のペースを尊重するとか、子どもを信じる、気持ちを言葉で表現できるようにしていく、スモールステップを設定して、できたら褒める関わりをしていく、これらは皆、HSCにとっても発達障がいの子にとっても必要なことなので、それほど変わりはないと思っています。
もちろん重度の自閉症の場合は専門の療育というのがありますが、そこまでの場合はおそらく誤解されることはないと思います。私の経験では、むしろ医師から「発達障害のグレー」といわれていたのが、実はHSCだった、というほうが圧倒的に多いです。(170p)


必要な支援がかわらないなら、なおさら発達障害と区別する必要もないようにも思います・・^^;。
というか支援が必要な状態ならそれは定義上、障害といっていいかと・・。

結局のところHSP/HSC概念は親や本人が「障害」と言われるのがまだ受け入れられない場合、あるいは医師が明確に診断しない場合の受け皿としての意味合いが大きいのかなと思います。
このあたりは発達障害グレーゾーン概念と似ていますね。

診断を得るまえの踊り場やロビーみたいな感じでしょうか。

個人的にはASDやADHDが外から見える行動様式から見ているのに対して、HSP/HSSは本人の体験がら出発しているので、自己理解にはむしろ適している優れた概念だとも思います。それゆえ当事者の体験と、外部にあらわれる行動が対話をもとに読み解いていくきっかけとしてありだと思います。

民間の概念だといって無視するのではなく、それが広まった背景を考えて、アカデミズムの側からの歩み寄りも必要でしょう。例えば「精神分裂病」が、学会と当事者との協働で「統合失調症」に、「痴呆症」が「認知症」に改称されたように、よりスティグマの起きにくい実態を反映した呼び方への改称も考えてもいいかもしれません。

この本ではHSP/HSCの方は境界線(バウンダリー)を引くこと、休憩(ダウンタイム)が必要だということなど、有用なアドバイスがなされているのですが、一つだけ心配なことがあります。

それは「その子のペースを尊重する。ほめる。気持ちをうけとめる。先生は自分の味方だという安心感が重要。」ということが強調され、そのための具体的な手立てである見通しや選択肢を示す視覚的支援の重要性に関する記載がほぼないことです。

感覚過敏で情報が入りすぎる方に関しても視覚的な情報提示や表出性コミュニケーションの支援などの具体的な配慮は有用、というか必要な支援と思います。ですので、子どもはASDではない、HSCと思いたい場合でもどんどん視覚的なスケジュールやカレンダー、筆談などでのやり取りなどの手立ては取り入れていただければと思います。
(ツールとしてはおめめどう®のグッズや考え方がおすすめです)

また親がASDなどの発達障害という診断を忌避するあまり、HSCだと親がこだわり、必要な環境や支援がもとめられないままだと困るのは子どもです。
学校などともHSC概念をもとに話していってももちろんいいと思いますが、行政や教育、職域の現場でも過敏なタイプのASDについての理解もすすんでいます。現状ではASDやADHDの診断を得るほうが合理的配慮をお願いしたり、特別支援教育、特別児童扶養手当、福祉サービスを受けるのに便利かとおもいます。

必要ならば診断は理解や支援をうけるためのパスポートとわりきってどんどんとっていけばいいとおもいますね。



(現場からは以上です)


さて、定形的発達、グレーゾーン、HSCなんでもありの多様な子育てを応援するアプリ(Q&A)のTOIROが信州大学子どものこころの発達医学教室らリリースされました。

この当たりをもう少し文献的考察を加えて、学術的体裁でまとめた論考を2021年12月の「精神科治療学」誌のカレント・トピックスに書きましたのでよろしければご一読ください。



さまざまな子育てや教育周辺に関する質問と小児科医、児童精神科医、心理士などの専門家その回答(ヒント)がありますので、発達障害の診断の有無に関わらず、子育てに悩む方は参考にされてください。
アプリから質問することもできます。
あまりに個別の質問には回答できず、類似の質問はまとめられたりするため、100%回答されるわけではありませんが、私も回答者として参加しています。

よろしければご参照ください。

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