ネットやゲームをめぐる対話

コラム

(2022年発刊の長野の子ども白書の草稿として書いたものです。私も過去に何度も寄稿させていただいています。バックナンバーの記事はネット(PDF)でも読めるのでぜひ御覧ください。)

私は子どもと大人の精神科医として、松本市内のメンタルクリニックで親子の相談を多く受けています。昨今、不登校やひきこもり、家庭内暴力などの行動問題、ネットやゲームへの依存、発達障害の相談が一体となって診察室に持ち込まれるケースも増えてきました。

私自身は自分の人生をゲーム化してしまったので、特定のゲームにドハマリすることはありませんが、インターネットは情報収集と発信の双方に日々活用しています。子どもたちが好むゲームや動画を見たりすることはあり、いわゆるソシャゲの人をはまらせる巧妙な仕組みに舌を巻いたりしています。

振り返れば自分が小学生の頃にファミコンが、大学に入った頃にインターネットが出て、その後、精神科医になったころにスマホが登場し、それぞれ早めに飛びついて多少ハマっては飽き、時には痛い目にあって学びながら、出来ることがだんだんと広がっていったような感覚があります。

他人の作った土俵で遊ぶのがさほど好きではないことと、飽きっぽい特性から今のスタイルに落ち着いたと言えるかもしれません。そんな私が私見ではありますが、子どもたちのネットとゲームにまつわる課題についてまとめてみました。

ネットとゲームと今の子どもたち

昔はゲームもウェブサイトづくりやプログラミングも比較的マニアックな趣味で、自分で学ぶものでした。パソコンや通信環境をそろえるのにお金もかかりました。しかし今の子どもたちはうまれた時からスマホやネットがあり、オンラインのゲームにも馴染み、プログラミングも学校や塾で教えられる時代です。ネットやゲームが生活に溶け込んだ彼らが見ている世界と、大人たちが見ている世界というのはまた違うのではないかと思います。

今や誰もがスマホ1台あれば、世界中に情報や学びを求めることが出来ます。また各種プラットフォーム、サービスを使って発信者にもすぐなれます。皆さんは動画や音声の配信サイトでマニアックに好きなものを語ることが仕事にもなるということを想像出来るでしょうか?さらにコロナ禍でネット活用の流れが加速しており、ネットのリテラシーによる格差も産まれています。しかし親や教師にこのあたりのことを理解して、教え伝えられる人は少数派かもしれません。

ネット・ゲーム依存は病気なのか? 

ネットやゲーム依存の疾病性に関しては精神医療でも様々に議論されてきており、ICD11というWHOの診断基準では、ゲーム障害(Gaming Disorder)がはじめて収載されました。コントロール障害のため優先順位がつけられなくなり、社会生活機能障害がでてはじめて依存症と診断されます。この診断基準を元に実態を調査し対策を考えていこうというわけであり、そのアセスメントや治療に関してはまだスタンダードとよべるほどのものがありません。

依存症診療で有名な久里浜病院を筆頭に、長野県ではこころの医療センター駒ヶ根、新潟県では上越市のNHOさいがた医療センターなどで、本人や家族への外来や入院でのプログラムが行われています。やめたいのにやめられないと苦しみデトックスのために場合によっては入院で対応しなければならない子どもや若者がいることは否定しません。しかし辛い現実の中、ネットやゲーム以外の世界を見つけられない発達途上の子どもたちに、依存症のラベルをはり、医療モデルで対応することにはやや違和感も感じます。

ネットやゲームのある世界を生きるリテラシーは教えられているのだろうか?

インターネット自体はあくまで道路のようなインフラであり、スマホは自動車のような乗り物といえるでしょう。またゲーム自体は「目的、ルール、敵」があり、ハマりやすいものという意味でしかなく、そう考えると囲碁将棋やスポーツも、受験勉強だって研究だってゲームと言えます。

そう考えるとネットやゲームの先には人もいて社会もあるのだから、それだけをことさらに取り上げて悪者にするというのはフェアではありません。これからの時代、ゲームはともかくネットは使わないわけには行かないでしょう。他の依存症以上に、社会全体で考えなければいけない課題だと思います。

とはいえ、今やスマホさえあれば、どこに落とし穴があるか知らないまま誰とでも繋がれ、何でも出来る力を持ってしまいます。そのため交通ルールやお金の使用のように段階を追って責任を負いつつ自由を得ていくというプロセスを踏むこと自体が難しいです。

親からも学校でもネットやゲームの使い方、使いすぎない方法、その先の危険を知り安全に使う方法というのはなかなか上手く伝えられていないようですが、親の余裕やリテラシーは様々なので、このあたりは公教育でもしっかり教える必要があります。また注意欠如・多動症や自閉スペクトラム症などの発達障害の子どもたちにはそれぞれにネットやゲームにはまりやすい特性があります。しかし飽きもありますし、そこから広がる世界もあります。

このように見ていくと子どもの志向性(動機)や、学習スタイル、発達段階を踏まえた提案もせず、依存症という病気だといって子どもだけのせいにしてしまっては短期的にはともかく、長期的にはうまく行かないことがわかります。

本人と対話しながらネットやゲームと上手くつきあうスキルを身につけていけるような手助けが必要です。その上で好きなこと、できることを増やし、社会と繋がれる場所を見つけ、自分が主人公の人生を送れるように応援することが必要です。

ネットやゲームは楽しいけれどもっと楽しいこともあるかもよ。

それではネットやゲームだけにはまってしまう子ども若者はどのような状態なのでしょうか。まず本気でeスポーツやプログラミングのプロを目指しているというような子は囲碁や将棋、プロスポーツと同じで心配いりません。メンタル、フィジカルともに過酷な道ではありますが全力で応援してあげてください。

しかしいじめや進路への不安などがあり、学校や家に居場所を見つけられず、リテラシーを持たない一部の子どもたちがネットやゲームだけが居場所になっている場合は助けが必要です。特に不登校やひきこもりなどの場合、時間はあるけれど、お金や実際に出かけるスキルもなく、比較的自由に動ける唯一の場所だったりします。ハマるように作り込まれたゲームは苦しい現実を忘れさせてくれ、寂しい気持ちを紛らわせてくれますし、最近のゲームはアップデートも頻回で終わることがなくなかなか飽きません。オンラインゲームやSNSやMMORPG(多人数がオンラインで参加するロールプレイングゲーム)などはその先に仲間がいて居場所があったりもします。

大人は、まず子ども若者が、どのようなことに悩み、やっと見つけたネットやゲームの世界でどのような活動をしているか興味をもち、その語りを聞いているでしょうか?そこで何が行われているか知っているでしょうか?

彼らにとってやっとみつけた大切な居場所をただ無理やり奪おうという試みはたいていうまく行かないでしょう。それに変わる現実や未来、大人が楽しく生きている姿を見せる必要があります。VRが発展したとはいえ、ネットやゲームだけでは提供しきれていないものは五感をつかった感情を揺さぶる様々なリアルな体験でしょう。それには手間も時間もかかります。

オンラインをつかって、いろんな立場からの対話を

先日、オンラインでこのテーマに関して対話会を開催しました。全国から参加者があり、オープンでフラットな、あらかじめ結論を想定したり何かを悪者にしたりということがない場で教育関係者、医師、親の立場、若者の立場などさまざまな声があふれるダイアローグがなされました。

医療や支援者から見えること、子どもがネットゲームの世界だけにはまってしまった親の不安や心配、ゲームが大事な居場所だという若者の声、巡礼や異文化への旅など自分の最もやらなさそうなことをして新しい自分を知った体験などさまざまな語りがあり、それぞれに知らなかった、見えなかった世界を知ることができ学びがありました。

こういった語りの場が増えていくことが大事だと思いました。私の人生というゲームの目的は社会における立場を超えた対話の総量を増やすことだと考えて日々活動しています。ぜひ、みなさんと様々な場で立場を超えた対話ができればと思います。

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました