いろんな価値感に触れてフィットするものを選ぼう。

人という生き物は住むところと食べるものがあって、どんな手段でも誰かとコミュニケーションをとっていれば(取れていると脳が思い込めば)それなりに幸せに生きていけるそうです。

ということで、数年前から仲間と大人の発達障害の話題をネタに工夫や体験をシェアするゆるい集まりをやっています。
コロナの流行でしばらくきちんとは開催はできていなかったのですが、先日ZOOMをもちいたオンラインで集まりました。

リアルでの場を共有するのは独特な楽しさはありますが、残念ながらいまはお預けです。
ZOOMだと家事をしたり、運動したり、移動中だっったり、子守したり、自分の快適な環境をつくり、ウロウロといろいろなことをしながらながら参加できるのは良いですね。
クラブハウスとはことなり、チャットでも参加できるというのも利点です。
ファシリテーターの多少の仕切りはありますが、基本的には自由にいろんな声を拾う場です。
あらたな話者が突然デビューするのも楽しみでもあります。

自分にとってはこういうのはレジャーの一つでもあります。

カフェ文化のある国(トルコなどでは)、こういったおしゃべりが街角いたる所でおこなわれているようです。
ある程度共通の関心領域のある人達が集まれる対話的な、バーとかカフェとかそういうゆるい場所がふえていくと、生きていくのはもっと楽しくなるのなあと思います。
ディベート的に論破するというより、対話をつづけることで、そういう考えの人もいるのなーというのを知るのがおもしろく、ポリフォニー的空間が心地いいのです。

発達カフェ、認知症カフェ、がん哲学カフェ、哲学カフェなども増えてきていますね。
意見と感情をわけて多様性を認め、対話ができる文化が育っていけば良いなあと思います。
この集まりでは毎回、いろんなテーマがでてきますが、お金と仕事の話は誰にとっても関係があるためか、よく話題になります。

さて、いつも安定のある方の意見。

「早くから体験してみて、自分にあった職場をみつけて」、「一つの職場には3年は続けよう」、「資格をとろう」、「組織で働けるように」、「税金をおさめられる人に」「お金は大事。少しずつためて、株とかやると安心感がちがうよ」「社会活動するにしろ、硬い銀行に口座つくって信用を得るべし。そしたら助成金などももらいやすい」という主張。

就労移行支援や今の学校教育などでは多い価値観ですね。
一方で、企業など中間組織への信頼は残している人なのかなあと思います。
お金や職場、資格など、見えるものへの信頼感が強く自助を志向します。
過去の記憶や未来への不安に備える。ASDの強い人にはこういう生き方もありかとおもいます。

そして、こちらもいつも安定のもう一方の極の意見。

「それができないんだよ〜」「いくつもの収入源や仕事を持ちましょ」「その日暮らしもありじゃ」「畑とかでもいいんじゃない?」「人とのつながりが財産。誰かが助けてくれるよ。」「ネットもあるし、広い世界では仲間に出会えるよ」「お金かけずに楽しめるし、いろんなことできるし」「存在役割もある。何か役に立つこともあるかも」「困れば最後は社会保障にたよればいい」という主張。

こちらは、いま、ここ、わたしを大事に生き、自分も企業や政府というような組織というものをさほど信頼しない一方で、最終的には人、社会(共助や公助)に対する最終的な信頼感は残している。

既存の枠組にはまらない、いやはまれないひとはこっちかなあ。
ADHD優位の人はこういう生き方になってしまうかも。

自分はどちらかというとこっちよりかなとおもいます。「ひろゆき」とか、「えらい店長」とかね。




この2つの考え方の違いの対話が本当に面白かったです。
(ほとんどいつものプロレス状態)

どういう価値観がフィットするかは、もともとの発達特性(ASD優位か、ADHD優位か、定型的か)に加え、その人が育った家庭や、自分の所属する集団の文化が、サラリーマン的だったり、公務員や教員的だったり、自営業やフリーランス的だったりするかでもきっと違ってくるものなのだとおもいます。

以下の本の視点が参考になるかと。


この本は10年以上も前の本ではありますが、今の社会をみてみると、いよいよ多くの企業も昭和的な家族的な福祉を担ってメンバーシップ型でということは難しくなってきているようです。
(もちろんそういう戦略をとる企業もあります。年輪経営の伊那食品工業などは有名ですね。)

厚生労働省のモデル就業規則でも、副業禁止規定がなくなったのはその反映でしょう。
今後は、どこかの組織一つだけにメンバーシップ型の雇用で依存して滅私奉公する昭和のサラリーマン的生き方というのはリスクが高くなってきているでしょう。
過去の日本の企業のイメージをもったまま、学校や企業で、忙しくされて、考えたり他の価値観に触れられないということは洗脳の手法でもありますので非常に危険です。

だから、多元的に組織に属しつつも、いろんな場に、いろんな種をまいて、いろんな収入源をもち、実際にいろいろ試してみて、自分にあった価値観、生き方、やり方を見つけていくというのが非常に大事だと思うのです。
大事なのはいろいろな価値観に触れて、自分で決めていくことです。
自分の家族(親)や受けてきた学校教育で与えられた価値観が自分にフィットしているとは限りません。

若者が多様な価値観(生き方)に触れ、経験してみて、自分にあった価値観(生き方)を見つけていけることを応援していければと思います。

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