新型コロナで垣間見えた精神科病院の惨状

権力は腐敗する。組織は性悪説で。



一人一人の個人は性善説でみるべきだとおもいますが、組織は性悪説でみなければいけません。
特に権力は腐敗します、絶対的権力は絶対に腐敗します。
人は弱い生き物ですから。

対話の継続をもとにした民主主義が健全に機能していることが大事であり、国家権力には憲法を遵守させるように国民の不断の努力が求められます。(日本国憲法12条)

しかし貧困化がすすむ日本では、国民の多くは日々の生活をまわすのだけで忙しく精一杯かもしれません。
新聞やテレビなどの大手メディアは電通に支配され、ジャーナリズムも機能不全です。
ネットも自民党のネトサポなどによる世論工作がおこなわれています。公共放送のはずのNHKもすっかりと権力に取り込まれ、政治の惨状については報道されないため、昨今の国会のひどいありさまを知る機会ももてません。
政治の話題はタブーな雰囲気すらあり、どうせ自分たちの未来は選べないのだと諦め、度重なる選挙でも一票を投じず政治を他人任せにしてきました。

その結果、自公政権は、国民の生命と財産を守るという役目を果たすことも、政治の責任をとることもなく、誤学習を繰り返してきました。
モリカケサクラといった疑獄をものともせず、政治を私物化し、今だけ金だけ自分だけと、組織票をもつ宗教団体や会食するお友達にのみ利益誘導をし、腐臭を放ったままゾンビのように生きながらえてきました。

そして権力者はオリンピックを利用して自分たちの失政や、犯罪、国内の様々な矛盾を覆い隠そうと企んでいたようです。
その結果、アスリートファーストといいつつ猛暑の只中の東京で開催するという、まさに商業主義に毒されたオリンピックが、緊急事態宣言が発令されるコロナ禍の只中で強行されるという「普通はない事態」が進行しているのです。

ウィルスは権力者に忖度しない



しかしウィルスは権力者に忖度することはありません。
コロナウィルス(デルタ株)は猛威をふるい連日過去最高の感染者数を叩き出しつづけ、医療リソースを圧迫してきています。しかし国際大運動会は開催されたまま、気の抜けた緊急事態宣言が発令はもはや効果は乏しく、たいした補償ないままでの度重なる自粛要請で市民の暮らしを圧迫しています。

徹底した封じ込め政策をとった台湾や中国といったアジア周辺諸国と比べても、我が国の政府のコロナ施策は、常に後手後手で、いきあたりばったりのように見えます。
決断して責任をとるべき政府はその役目を果たせず、不作為どころか最悪のタイミングでのオリンピックやGOTOキャンペーンなどマイナスのことしかできてこなかったように思います。

そんな政府のもとでのパンデミックは人災としか言いようがありません。

古代ローマ社会の「パンと見世物」はまだましだったのかもしれません。
この国の状況はもはや「パンなしのサーカスだけ」なのですから。
自分や身近な大切なひとが感染して死んだり、生活困窮して追い詰められるでその異常さに気づかないのでしょうか。

すでに医療ニーズに対しリソースがおいついていない災害状態なのですが、TVでは目くらましのオリンピックの中継や特集番組が連日つづいています。この状況でのメダルラッシュもとても素直に喜べる状況ではありません。



災害は社会の最も弱いところを直撃する




そんな中、NHKの良心というべきか、力のはいったETV特集『ドキュメント 精神科病院×新型コロナ』というドキュメンタリー番組が放映されました。

なぜクラスターが起こり続けるのか?何が問題なのか?コロナによって、見えてきたブラックボックスだった精神医療の実態。圧倒される現実を取材し続けた1年の記録。

東京都中から精神疾患のあるコロナ陽性患者を受け入れている、日本最大の精神科病院都立松沢病院のコロナ専門病棟に1年にわたり張り付き密着取材した番組です。

しかし、この番組が伝えたかった本質は、新型コロナの猛威や松沢病院の活躍というよりコロナ禍があぶり出した、日本の精神医療の姿でしょう。

実は世界の精神科病床の2割が日本にあります。
精神障害者が私宅監置をされた歴史がありましたが、ライシャワー事件以来、そういう人たち浮浪者やはみ出た人は精神科病院に次々と隔離されました。精神科特例で医師は一般病床の1/3や看護師は2/3と少なくても開設でき、民間病院に任せたため巨大な収容施設たる精神科病院が全国各地にできました。

そしていったんできた民間の精神科病院では患者のこと固定資産とよび、劣悪な環境での治療という名の隔離をつづけられた歴史があります。そこではさまざまな人権侵害が行われてきました。
患者の人権よりも病院の自己保全が優先され、長期入院患者の地域移行は遅々としてすすまず入院患者はそのまま高齢化しているのです。

今回、そんな精神科病院でいったん新型コロナウイルスの感染がひろまると、人も少なく感染症対策もできずに、またたく間に全病棟で感染してしまうということは必然の事態といえるでしょう。

劣悪な環境であっても、コロナでクラスターが発生しても逃げ場がない。大部屋の真ん中にポータブルトイレ置いて排泄も食事も一緒で仕切りもない。陽性者を南京錠で閉じ込める。
患者たちは家族や地域から離れたまま何十年も入院しており、本人の代わりに本人の人権を守ってくれる人がいません。そんな状況でも保健所の指導や監査も形骸化し、患者の基本的人権を守ることができてきませんでした。

そんな状況の中、コロナに感染して、身体疾患で身体もボロボロで、褥瘡をつくったり、糞尿にまみれながら松沢病院に搬送され、治療をうけて何とか回復しても、戻る場所が結局そこしないという現実があります。

番組では当事者の言葉や、現場のスタッフの悩みが語られていました。

しかし今回の番組のハイライトは何と言っても日本精神科病院協会の山崎學会長のインタビューでしょう。

曰く「医療を提供しているだけでなく社会の秩序を担保しているんですよ。町で暴れている人とかを全部ちゃんと引き受けているので、一般医療は医療するだけじゃないですか、保安まで全部やっているわけでしょう?精神医療って、入院を断っていたら一番困るのは警察だとおもうよ。」と悪びれもせず開き直って語っていました。

山崎学氏は安倍晋三前首相とゴルフをしたり「晋精会」という政治団体(日本精神病院協会と深いつながりがある)を通じて支援するなど自民党や安倍晋三らと親しい関係にあります。日精協はこれまで、傘下の政治団体「日本精神科病院協会政治連盟」を通じ、自民党議員を中心に多額の政治献金をおこない、地域移行で空いた精神科病棟に認知症患者をいれようと誘導したり、その会報で精神科医に銃をもたせろというような暴論を平気ではき続けています。
しかしそんな医療の役割をはき違えた人権無視の不法行為を公言しても許されている環境なのです。
こんな人間を会長において会員も明確に反論できない精神科病院協会は、自分たちの組織の保全のための利益団体にすぎないのでしょう。

行政の責任は?




しかしそのような民間精神科病院を監督し、患者の人権を守るべき、監査、指導すべき行政も腰が引けていて、すっかり形骸化しています。そもそも感染症や精神疾患による隔離などの人権制限をともなう措置は責任が明確な行政が行うべきものでした。

民間病院に社会防衛を担わせ、患者の人権を損ねてきた国家の責任を問う、精神医療国家賠償請求の裁判が始まっています。大きな意義のある裁判であり、この成り行きに注目しています。

松沢病院でリーダーシップをとってきた斉藤院長は

「精神疾患の患者が身体の病気で受けられる医療は、一般の患者さんより劣っているという隠された現実があった」
「塀があるのは、世間が見たくないから。美しい緑の景色の奥に閉じ込めておいて下さいってこと。」
「世の中に何かが起きたときに、ひずみは必ずぜい弱な人の所に行く。社会には弱い人たちがいて、僕らの社会はそれに対するセーフティネットをどんどんどんどん細らせているのだということを、もう一度思い出すべきなんだと僕は思う」
と述べていました。

しかし残念ながら、この状況は我が国の国民の平均的な意識の反映なのかもしれません。

人間は自分の知らないものは恐れ見ないようにする、対話を拒絶し、排除し、隔離する生き物です。

だから対話の継続を通じて知らないことを知ることが大事なのでしょう。

1918年に呉秀三先生の言った「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外(ほか)に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という状況が未だに続いているのです。
こういった番組や訴訟などを通じて見えなかったものが可視化され、対話が促進されることを期待します。


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