佐久市臼田の伝説のたこ焼屋を拠点とする「げんき会」
長野県佐久市の「げんき会」という大人メインの発達障害の自助グループにまたお呼びいただいたので行ってきました。
「げんき会」は佐久市臼田の「大阪たこ焼き」を拠点とするグループです。
ここは、大阪から移住してきた元教員の松本夫妻がやっている、めちゃ美味しいたこ焼き屋なんですが、その実は、人が集まるよろず相談所になっているというすごいところです。
駄菓子屋みたいな風情もあって、伝説の「あきこう前茶屋」を彷彿させますね。
富山の「みやのもりカフェ」や、千曲市にあった「ごちゃまぜカフェ」に通じるものがあります。
こういう場がふえていくといいなあ。
今回は佐久圏域の発達障害サポートマネージャーの荻原浩さんも来てくれました。
長野県では各県域に発達障害サポートマネージャーや療育コーディネーターという方が県から任命されて委託で動いていて医療機関の受診の有無に関わらず総合相談を受けています。
発達や少数派の子育てに迷ったら直接相談するといいですよ。私もよく一緒にお仕事をさせていただくことが多いです。
ちなみに、松本は新保さん、大北は安藤さん、木曽は武居さんです。
げんき会では前回はスライドももちいた講演をさせていただきましたが、今回は質疑応答中心というかファシリテーター、スーパーバイザー的な立ち位置で参加させていただきました。
この形であればホワイトボードが1枚あればどこでもできます。あるラボと同じですね。
やってることは診察と似たようなもので、公開診療や公開カウンセリングのような趣でしたが、ギャラリーも多く、後半は盛り上がってきて参加者同士でもいろいろ意見が出たりして参加者同士での工夫や情報もシェアできました。
「大人の発達障害」がテーマでしたが、仕事の話、ひきこもりや、親子の話も出てくるのはどこでも同じです。
悩みも自分だけのものではなく、オープンにしていくと実はけっこうあるあるだったりして、こうやってみんなの中に開いていくと、さまざまな工夫や情報が聞けたりして気づきと癒やしを得ることができ、一歩前進できます。
トラウマもひとりぼっちだと大きくなりますがみんなに囲まれると小さくなりますからね。
坂口恭平さんの皆で皆の悩みを聞く「自分の薬をつくる」ワークショップみたいな感じですが、これを、より洗練させていくとWRAP(元気回復行動プラン)ということになるのかもしれません。
こういったグループは診療では集団精神療法やデイケアのプログラムとしてやるのでもなければなかなか診療報酬はつきませんが私は一対一の診療や、一方通行の講演会よりもこの形が好きだったりします。
対面での個別診療や全体に向けた講演会も必要なシチュエーションもあるしそれはそれで大事ではありますが、それでも個別のアセスメントと診断書の発行とお薬の調整以外は、グループでやる方がいろいろとメリットが多くていいなあと思って自分でも企画したり、各地の各種自助グループを専門職支援者としてサポートさせていただいてきました。
セルフヘルプグループは多くの人を元気にする
AAや断酒会などの依存症などのグループはあちこちにありますが、発達障害に関しても、こういったセルフヘルプグループがあちこちで開催されるようになると助かる人は多いかと思われます。
発達障害の自助会に関しては、さかいハッタツ友の会やDDACなど関西で盛んでうまく運営されているようです。
老舗のさかいハッタツ友の会の石橋尋志さんによると、場所と時間だけ決めて、主催者はその場所に必ず現れれば、それでOK。
あとは人集めですが石橋さんに言えば1万人のフォロワーのいるツイッターでシェアして宣伝もしてくれるようです。
自助グループのニーズはありますので続けていて情報が届けば必ず人はあつまるようになりますが、グループが大きくなってくると話す機会が減りますし、主催者にいろいろ文句を言う人がでてきます。
ですが自助会で一番偉いのは主催者です。主催者が無理なく続けられることが大事・・。
→自助グループ設立マニュアル
石橋さんによると、内容や場所、日時に文句があるなら、主催者に文句を言うのではなく、喧嘩する前に別れて、新たに自分が中心となって主催してみればいいとのこと。
さかいハッタツ友の会ではそうやって別れて増えたグループが多数あって、開催情報だけLINEでシェアしてウェブサイトにまとめるだけというゆるい運営で自助グループの輪が広がっているようです。
信州でも自助会の活動を盛り上げていきたいので、長野県内で、親の会や当事者会などのセルフヘルプグループを主催して開催する方は、広報や立ち上げにはご協力させていただきますのでぜひご連絡ください。
自助会活動は実は主催者がいちばん得をします。
中信エリアを中心に開催してきた「大人の発達障害あるあるラボ」の経験から、傷をなめ合ったり敵をつくったりするのではなく、対話的に体験や、創意と工夫、情報をシェアする場に徹したほうがいいかなとは思います。
無理なく継続開催することのみに注力することがポイントですが、主催者が疲れたり飽きたらバトンタッチするかやめればいいのです。
なんせ自助会ですから。
好きでもなく得意でもないことをやる余裕はありません
さて、大人の発達障害といわれているものの多くは実は「発達障害の二次障害」のことですね。
特性が強くても自分に合った場所や生き方を見つけられていて社会適応できていれば診断しませんから。ASDであれADHDをであれ自分にあった生き方をみつけてハッピーに生きていればそもそもだれも困ることはありません。
あと多いのは、学生時代は何となかっていたのが、社会に出て組織の中でミスが多くてうまく行かず、自分はADHDかもと受診される方。そしてよくよくみればASDの特性もあってというのはあるあるですね。
特性が強い乗りこなしが難しいスペックの人にとっては、多数派にとっての平均的な生き方を目指さず主体的に生きることがコツになります。
定型発達者の普通を気にして、好きでも得意でもないことをやっている余裕はありません。
好きを突き詰めて活路を開くか、好きやこだわりは余暇活動を充実させて自分を満たし、得意を活かして組織の中での仕事はライスワークと割り切って働くか、自営やフリーランスで自分でコントロールできる環境を積極的にもとめていくか、とにかく嫌なことはしない、我慢をしないことが大事ですね。
好きなこと、やりたいことをするために嫌なことを少々頑張るというのはありですが・・・。
その順番やバランスが狂うととたんにうつになります。
グレーゾーンにこそ自助会が必要
今回も「グレーゾーン」という言葉が話題になりました。
私は特性があって支援が必要な困りごとがあれば診断を積極的に活用していくものだと思っているので、グレーゾーンはあまり意味がない概念だと思うのですが、身体科領域だと「○○の気」がある(リウマチのけがある)みたいなものでしょうか。
まあ、淡いとか濃いとかいう言い方はしますが・・。
当事者や親が発達障害の診断に良くないイメージがあり、診断を受けるととんでもない世界に連れて行かれるんじゃないかと不安が強く、グレーゾーンといいたい場合もあると思います。
そういう当事者や親に忖度して、踊り場的な一時的な診断名(保留)として、医師がグレート言ってしまう場合もあるかもしれません。
また医師が自信がなくて診断できないか、医師自体が楽しく生きておらず、診断を出し惜しみして当事者に「たいしたことない、もっと頑張れるはず」というメッセージを発して「グレーゾーン」という場合があるかもしれません。
その場合でも、困りごとに対して手立てを先行させ、公的サポートを受けるために必要なら診断するというスタンスならいいのですが、ただ「グレーゾーン」ですと言いっぱなしで終了では誰もすくわれませんね。
信州大学の本田秀夫教授も「グレーとは白ではなくて淡い黒」とおっしゃっています。
グレーゾーンといいたい、または言われている人こそ、セルフヘルプグループに行き、様々な声を聞いて対話をして、手立てや見通しをもつことが一番役にたつのではないでしょうか?
診断はそのあとで必要があれば自分から積極的に取りに行くものでいいかと思います。
セルフヘルプグループなどに参加したり、当事者と対話をしている医師や支援者でなければ、実はよく分かっていないことも多いですからね。専門職も特に当事者性のある方(多いと思います)を、お仲間に加えて会に呼ぶのもおすすめです。