8月27日に安曇野市穂高の碌山公園研成ホールで、あづみの不登校親の会「ひらく」の夏休み企画。
元信濃むつみ高等学校教頭で今は松本駅前で私塾『読解ゼミ tera klaso』ををされている竹内忍先生の講演会がありました。
竹内先生は子ども達と机や教科書にこだわらない、地球上の様々な場をフィールドに多様な学びを実践されてきたカッコいい大人でした。
SNSやケースなどを通じてのやりとりはありましたが、直接はお会いしたのははじめてでした。63歳とは思えないバイタリティと若々しさでびっくりしました。
今も全国の仲間と、自公政権の戦争法案の強行採決に対してこれでは子どもたちに教育で伝えてきたことが全て白々しくなってしまう。精神的な苦痛を受けたと裁判もおこしたりしているそうです。
今回の会を企画してくださった主催のひらくの共同代表の山本愛さんをはじめ、松本周辺にも予備校時代からの教え子(ファン)も相当多いようで、皆さんそれぞれに社会と自分を知り自分なりの生き方を模索して生きています。
竹内先生も高校時代はいろんな悪さをしてきたそうですが、大学時代もいろんな大学に出入りしては教育問題研究会というサークルで「教育ってなんだろう」ということについて考え続けてきたそうです。
そして松本予備校で若者に小論文と国語を教えながら、当時は登校拒否と呼ばれていた子どもたちの居場所を公民館などで続けられていました。
20年くらいそういった仕事をつづけて、「学校って変じゃん」とずっと言っていた竹内先生らが、2003年にその学校法人の新たな事業としてソフトもハードも考え抜いて解説された通信制高校が信濃むつみ高等学校です。自分が関わっている若者もたくさんお世話になってきましたし、今も大勢お世話になっています。
松本にできた新しいタイプの通信制高校では可能な限り「学校」ではないようにとコンテンツを考えたそうです。国のみとめた教科書は使わない、学習指導要領はつかわない、校則はない・・。担任は変えられる。
校舎も北欧など海外の建物などを参考にしてつくられました。
かつて自分も見せていただいきましたが、ユースセンターというか大学というか、予備校というか、いい感じに自由な雰囲気の空間でした。そしてアルバイトでもスポーツでもそれぞれの生徒が街中に広がって学びながら、ゆるくつながって、先生たちも様々な体験をできるように様々な提案をしてアドバイスやコーディネートに徹する。何でも出来るけど、メチャクチャででたらめ。通信制だから少しずつでも74単位の高校卒業単位はとれて自身も回復していける・・。自分の生き方を見つけていける。
学習指導要領に縛られず、テーマを横をつなげて、環境、いのち、ジェンダー、アジアといったテーマの学びをする。東日本大震災の被災地や様々な社会的課題の現場、中国、アジアなどへのフィールドワークやスタディツアーも催行して、スマホが当たり前になった近年はネットも活用する・・。
そんな学校ができたときに、取材に来た記者さんに「不登校だった子たちの受け皿ができましたね」といわれて、彼らは普通からこぼれ落ちた子たちなのか?受け皿?ってなんだよと思ったそうです。
今の教育を見てみれば特別支援教育だといって学校や教育が丁寧になればなるほど不適応は増える。「普通」に入れ込もうとするとどこかで線引きは絶対におきる。排除や差別化に繋がる。
そんな思いで作られた埒外の学校でないものを目指した「学校」です。制度やマニュアルに縛られないどんぶり。でもそのどんぶりの中でどれだけいろんな関係を作れるか。ゲームの世界だってコミュニケーションツールです。ゲーム好きの先生と生徒はそこ繋がり、さらなる提案も出来ます。
今の学校教育も世間も、一生懸命になっていわゆる普通と言われる三角(ヒエラルキー)の中に押し込もうとする。その中での競争を煽る。
しかしその外側に生きる人達、その外側でしか行きられない人のことは見ようとしないし見せないし想像もできない。しかし竹内先生はそういう人たち含めて社会のはずと訴えます。そして埒の中にいる大人たちも実はとても苦しい、そんな人たちも救われなければならない。
竹内先生は親ともたくさん話をします。
産業的生産性や効率性にばかりに注力し均質化し寛容性を失った今の社会が、制度やシステムが、仕事や資格が、価値観や生き方が、ふつうが続くんだろうか?子どもや生徒たちが生きる10年後、20年後、30年後は?
例えば原子力産業やインバウンドの観光が今のような状況になると予想できていただろうか?
ちょっと不器用だけど、枠に入れない不登校や引きこもりの人たちは、おかしくなってきている社会の炭鉱のカナリアです。枠、ふつうを内面化した価値観を抱え込む自分自身からいかに抜け出すか?
自分も竹内先生も三角の中と外のあたりに相談所を開いている感じかなあ・・。
似たことをしているのかもと思いました(ぜんぜんスケールは違いますし敵いませんけどね。)
家庭と学校という枠外でそういう大人に出会うチャンスが若者にはつくづく必要だと思います。
進学校から有名大学に進学しても自分を振り返るチャンスもなく親や社会の期待に沿って生きてきて枠にはまっていることに悩みコンプレックスを持ってる優等生も多い。
学校という場も社会の様々な場の一つ、多様な学びや体験のあり方のひとつ、にすぎないと強調されていました。
あとたった一つの言葉で見えなかったものを可視化、対象化する、体幹を経験に変える言葉化の力も。