人権侵害が行動障害をうんでいる
精神科の診察室には、うつや不安などの精神症状の他、触法、繰り返す青年期のパニック、不登校、引きこもり、無気力、自傷、暴言暴力などの他害、さまざまな依存症、ヘビークレーム、頑固なこだわりなどなどの行動問題も持ち込まれます。それらの背景にあるものを本人の特性や育ちを時間軸、空間軸に展開して読み解いていくと、疾患というよりも繊細で不器用な人が逆境的環境で人権侵害を受けてきたことに対する社会への異議申し立てであると感じられることも多いです。こういったケースは医療モデル(個人モデル)で個人の中に原因を求め入院や投薬などだけ治療して解決しようとしてもうまくいきません。本人を取り巻く環境を含めた社会モデルで考え介入することが必要になります。
発達とトラウマを知り逆境の連鎖を断ち切ろう
幼少期から虐待やネグレクトをうけるなど不適切な養育環境だったり、知的、発達障害があるのに本人の特性にあった育ちの環境が得られなかったり、学校でいじめをうけたりするなどで戦場のような体験世界を生きのびてきた人もいます。小児期にこういった逆境的な体験があると、この世界は危険な場所である、自分は無力だ、強くなければひどい目にあう、強いものは暴力で弱いものを従えてもいいなどと学習します。結果として自信がなく、他者を上手に頼れず、対話や挑戦ができなくなり、学びや成長も阻害されてしまうことになります。困った人は困っている人だという視点をもつことが必要です。こういったケースでは、たいていは親世代、そのまた親世代からつづく社会課題やトラウマ、発達特性など複雑にからみあっており、それらを丁寧にほぐして癒し、本人も周囲も理解していかなければなりません。社会の中に助かりあい、育ちあう、癒やしや気づきのある対話の場をたくさんつくることで逆境と誤学習の連鎖を断ち切る必要があります。
支援者には知識と余裕と仲間が必要
自分の力を超えた困難に対して勇気を出して支援者に対して助けを求めても、お前が悪い、ただ頑張れと返されたり、うまく関わってもらえなかったりで、さらに傷を深くするというようなこともあります。問題行動にみえることも不器用なSOSではないかととらえ、その背後にある本人の困り事や考えを丁寧にきき、考え方や行動の選択肢を提案する対話をつづけていかなければなりません。支援する側にも知識と余裕が必要で、特に発達障害やトラウマの知識、マインドフルネス、セルフケアの技術は必須ですが、仲間とチームでうごき、ひとりでしない、ひとりにしないことが最も大切です。
相談を受けたときにまず考えるべきこと
今、求められているのは実際的支援(保護や手助け)なのか、心理的支援(受容と共感)なのか、情報的支援(問題解決)なのかがズレているとうまく助けられません。
まず、安全な場所でお腹いっぱい食べ、安心して眠れる場が保証され助かることが最初です。その上で自分の気持や考えを表出しても不利益を被らない心理的に安全な場が必要となります。そこで守られ共感してもらった安心感と繋がりが、自分の行動を振り返ったり、新たに挑戦したりするための基地となります。さらに意味と見通しと選択肢が分かる形で示され、自分で決めて動いたことに対して適切にフィードバックが得られその責任を引き受けることを繰り返すことで、自分と世界への理解を深め、自分の生き方を見いだしていくことができるようになります。
子育てや教育も基本は同じかも
幼少期から逃げ場のない強制的かつ競争的な環境の中で、常に比較され評価され頑張らされていると、自分が好きなことややりたいことがわからなくなり、苦手意識(トラウマ)をもつことが増えてしまいます。自分のことが大好きで世界を信頼し、社会の中で楽しく生きられる主体的かつ対話的な大人に育つためには、周囲の人はなるべく強引なことはせずに本人の好きなことを最大限尊重し、その上で社会で生きていくために必要なことは本人に分かるように対話の中で伝えていく必要があります。それぞれの子どもの学びのスタイルや、興味のあること、発達段階に応じて、やってみたくなる達成感を得られることを提案し、好きなことや出来ることを増やすことをサポートしましょう。本人の成長や挑戦、興味をもったことに対して驚きをもって肯定的に注目し、言及することが成長のエネルギーとなります。他の子との発達と比べ減点方式でみるのではなく、それぞれの育ちを縦でみていくことが大切です。そして世界にはまだまだ知らない楽しいことがあるということを大人の背中を見せて伝えていきましょう。
思春期からは引き算の子育てを
子どもが思春期を迎えるころからは徐々に引き算の子育てに切り替えていく必要があります。青年期はそれまでに培った自分や他者への信頼感をベースに、世界に自分の責任で挑戦して試行錯誤し、親を相対化し自らの生き方(価値観)を見つけていく時期です。自他の境界を意識し、部屋やお財布をわけ(お小遣い)、本人が決めたことを尊重し、代弁したり、先回りして察して代行したり、代わりに悩み葛藤をとりあげたり、余計なお世話はしないことが大切です。診察室の振る舞いで親子の関係はよく見えます。子どもに何らかの障害があり、私がいなければこの子は何も出来ないという思いがあったり、親が自分の人生を生きられていなかったりすると子どもにいつまでも干渉しがちです。子どもの挑戦を後押しし、親以外に直接つながり頼れるところを増やしましょう。成人になると親にできることは、うまくいかなかったときに実家に転がり込みせいぜい、「くうねるだす」が保証される場があるくらいのことと親も子どもも思っておくくらいがよいと思います。
医療にできること、そしてどのようにチームをつくるか
行動問題にたいして医療に繋げば本人をなんとかしてもらえるという幻想を抱く親や支援者もいる一方で、医療は現場をわかっていないし何もできないだろうと諦めている現場の支援者もいます。医療に対する過度の幻想を打ち砕きつつも、上手に使えば役にたつのだということを対話と実践を通じて示していきたいです。医療では岡目八目でニュートラルな立場から丁寧に診立て、お薬などで治療可能な部分を見逃さないこと、自分の身体や心と対話して適切なセルフケアと援助希求ができるようになるお手伝いをすること、さらに家族や支援者とのあいだでフラットな対話の場をつくることも実は担いやすい役割です。地域の大変なケースでは場合によっては本人や家族も含めたメーリングリストやチャットなどで情報共有したり、支援会議へもリモートで参加したりできるようになり助かっています。
市場原理のもとでは大変な人ほど体よく排除されてしまう
社会共通資本であるはずの医療や福祉や教育も市場化され競争原理が持ち込まれています。そういった中では自分を殺して大人しく従う人は歓迎されて囲われ、自分を出して主張する人は傷つけられ排除されます。行政は監査や報酬の誘導で質をコントロールしようとしますが、書類的な正しさや弱者性の証明のためのコストが増える一方であり、悪貨とともに良貨も駆逐されてしまう状況になっています。最も大変な事例を中心に課題を共有し、地域の議会や自立支援協議会などの対話の場を機能させさらに当事者家族と支援者の間に、まきこまれ、面白がって関わる人たち、関係人口を増やしケアや教育をローカルで自給自足していくことが必要でしょう。
貧困と無知との戦い
私は同じ地域での診療を長くつづけ、さまざまな障害のある方に、幼児期から成人期そして老年期まで様々なライフステージに、さまざまなフィールドで診療や支援をし、高校や養護学校などでの医療相談や、福祉事業の経営に関わらせていただいたことなども貴重でした。さらに地域の発達障害や精神障害、ひきこもりなどの当事者会や親の会、支援者の集まりなどにも参加し一緒に活動してきました。貧困と無知との戦いだなあと日々感じていますが、仲間とともに強かに楽しく生きていきたいものです。