見るたびに新しい発見のある映画
宍戸大裕監督のドキュメンタリー映画「道草」を私は2019年の5月に上田の映画館で初めてみてから今まで少なくとも5回は見ています。
見るたびに視点がかわり新しい発見のある不思議な映画です。
重度の知的障害とともに生きる当事者、支援者、家族、そして関係性や支援技法などのどこの部分にフォーカスするかで見方が変わります。さらに武蔵野の自然にも癒やされたりします。
この素敵な映画をめぐる対話も仲間たちや監督とも繰り返し、彼らの世界に惹かれ行動援護にも同行させていただいたりもしました。
対話会とセットの上映会などが各地で行われてきましたが、Vimeoで1000円で24時間レンタルでオンデマンド視聴できるようですので、もしまだ見たことのない方はぜひ一度ご覧いただければとおもいます。
そして今回、地元の松本で上映会&監督も交えた対話会が開催されました。
コロナマンボウが出る中、中止も危ぶまれ、ギリギリでのオンライン併用でしたが、主催者のご尽力でなんとか開催できてよかったです。
視聴された方、参加された皆さんはどんな感想をもたれたでしょうか。
魅力的な人たち
このドキュメンタリー映画に出てくる人たちはみなとても魅力的ですよね。
登場する方々も幼少期、思春期と親子それぞれに大変な時期を経ているのだとおもいますが、自閉症や知的障害をもつ子どもの関係者にも成人期にこういう生活もあるのだというイメージ(見通し)をまず共有していただきたいです。
主役級であるリョースケさんは、思春期ぐらいから同じ支援者が10年以上、かかわり長い付き合いです。親離れしてからは支援者が交代でついての一人暮らしをしており、一ヶ月に1度実家に戻る生活をです。
感じているところ、表現はユニークで、素敵な絵を書くアーティストでもあります。
子供の頃からずっと付き合ってきたヤンキーみたいなあんちゃん支援者が伴走し、「ちょっちょっちょ、そんくらいにそときー」といいつつ本人とともに世界を探検しています。
次に出てくるヒロムさん。やはり母は大変だったようですが、神石井公園での散歩中の「ター」「シー」は、「ターを」やめさせたいなら応用行動分析では不適切でしょうが、これは場所と相手をわかって選んで楽しんで遊んでいる場面のように思いました。
きっと、サービス精神旺盛なヒロムさんだから、監督がいて撮影されていたこともあり張り切ったのかもしれません。出された食べ物は残せない、後で吐くなどは施設でそだった影響でしょうか。
あっただろうヒロムさんの支援者(彼もまた挫折も多かった人生のようですが)の「どうしてこういう人たちがどこの社会にもいるのだろう」から始まる語りも素敵です。
ユウイチロウさんは、施設で虐待を受けてきた歴史があり、自分をコントロールできずに悩んでいます。端々にそのような表現もでてきますが、コンビニで「時間かかります〜」という場面など、一生懸命生きているなあと。
しばしば落ち着かなくなって荒れて入院したりもしましたが、支援者や街の人、自然の温かい関わりの中で、トラウマも徐々に溶けてきているように思います。
でも人との関わりや河や海を見に行ったり、電車の中でフッとみせる笑顔にこちらも癒やされます。
カズヤさんは、津久井やまゆり園の障害者大量殺傷のサバイバーです。
地域の生活をはじめました。ご両親も本当に明るくて魅力的。そしてカズヤさんの監督への「おじさん〜」という言葉からも監督と丁寧ないい関係性を紡いできたことがわかります。
カズヤさんに関しては、その後についてもTVのドキュメンリーなどで追跡報道されています。
あなたの街でも
そして、、、このような魅力的な人たちは実は私たちの街にもいます。
信州でも当事者も支援者も家族も、大変なことも多いけれど楽しく頑張ってなんとか生きてます。
公園や本屋、アルウィンなどでも行動援護などで支援者とともに外出している彼らと出会うこともあるかもしれません。
生活介護や就労継続B型などの事業所から、パンやお菓子などの販売で、市役所や病院、福祉施設、学校などさまざまなところに販売にいっているのに出会うこともあるかもしれません。
ただ、なかなか地方だと行動援護も車での移動になってしまいうのが、運動不足という点と、地域の人に接する機会が減ってしまうという点で残念ですが。
彼らの存在は固くなった社会を柔らかくしてくれる、そして我々にない、忘れてしまった視点を思い出させてくれる存在です。
見えない施設で一生というのではなく、必要な支援をうけつつ可能なら地域の中に出てきて暮らすことで、この世の中はもっと楽しい良いところになると思います。
知らずに怖がるだけではなく、ぜひ知って、触れて、会っていただきたいです。そして興味をもったら、面白がってより深く関わっていただければと思います。
新しい世界が開けてくることを保証します。
支援技法に関して
映画「道草」をみて、自閉症の支援技術(視覚的支援など)を学んで実践されてきた方には、支援技法についてはなんだかなあと思う画面も多いと思います。
視覚的なスケジュールを本人と一緒に作成したり、音声言語ではなくPECSなどを用いた表出支援をすればもっと深くわかり会えるのにともどかしく思う方もいらっしゃるでしょう。
でも、道草に出てくる支援者は彼らの世界を自然に尊重し、対等に接していて対話を繰り返しているなあと思いました。とても人間臭くあたたかかです。
おそらくここの支援者の多くは身体障害などの自立生活運動の支援をおこなってきたというのもあるのでしょうね。
いくらABAなどの理論や、TEACCHの支援技法があって使いこなせていても、そもそも障害に差別意識があり、自分が正しくて、相手が劣っていたり間違っていて矯正すべき存在という構えでは絶対にうまくいきません。思春期以降、強度行動障害や引きこもりは避けられず、よくて諦めからの学習性無気力、受動指示待ちです。
個人的には自閉症(ASD)の方との関わり方を知るためには、道草→おめめどう→PECS→プロンプトの順番で学んでいかれるといいと思います。背景の理論としてABAを知っていることも大事でしょう。
そしてまた「道草」へと戻ってくる・・。
道草:彼らのような存在が世界にも自分の中にいて必要な存在で幸せに生きているというのを知る。対等性をもった関わりについて知る。(興味と見通し)
おめめどう:彼らにわかりやすい視覚的な伝え方ややり取り、ツールの活用、人権尊重に関して知る。
(理解コミュニケーション)
PECS:彼らに絵カードを用いて表出を教える方法や、その背景となるABA理論を学ぶ。コミュニケーションの根っこの部分。(表出コミュニケーション)
プロンプト:音声言語以前の彼らとのリアルタイムの対話的なやり取りの技。(伝え方、教え方)私も絶賛勉強中。
専門職の支援者がつかう技術はプロンプト→表出支援→視覚的な対話の順番で、この世界で生きていくための術を教えていきます。
ここを行き来することでTEACCH(アメリカのノースカロライナ発症の自閉症の方の世界を尊重しつつ地域ぐるみで取り組んでいるプログラム)的世界を実現できるのではないかとおもいます。
このあたりをテーマにした「対話から始める 脱!強度行動障害」という本を共同編者で上梓します(5月発刊予定)。リョースケくんのお父様でもある岡部さんにも執筆や座談会に参加いただき、宍戸監督もコラムを書いていただいています。
ぜひ手にとってみてください。
本記事はコメントを開放しております。
ぜひ「道草」を見たモヤモヤをお聞かせください。
コメント
いつもありがとうございます。毎回拝見しています。初めて道草見ました。自分にとっては衝撃的!でした。こういう人達がいるのかと。様々な課題を乗り越えて支援している方々、されている方々には尊敬の念しかない。本当に様々な側面から素晴らしいと思う。支援者として自分にできるか?続けられるか?維持できるか?学びと実践経験が足りなすぎて、遠すぎて夢のような話に見えたが、可能性はあると思います。もう日本に実在しているんだから。目の前のできることを積み重ねながら、まだまだ考え動き続けたいと思います。とてもいい映画でした。