「私のことをすべてわかってほしい」という願い

精神科における診療や心理職のカウンセリングの場面において、しばしば、

「私のことをすべてわかってほしい」
「私のことをすべてわかってくれていますか?」

というようなことを言われることがあります。

「だれかにわかってもらっている、私は世界に受け入れられている」という感覚は人生の早いうちに周囲の人から獲得しておきたい感覚です。
おとなになって「わかってもらいたい、認めてもらいたい」という思いがをつよく残しているのは、過酷な環境で育って生きてきたり、発達の道筋が通常でなかったため途中で上手く獲得しそこねたり、社会的少数派だったりするゆえの傷つきの多さの現れかもしれません。

これまで、そういう経験が少なかったんだろうなあと思います。



そういう方に対して、

「もちろん対話を続けるなかで、あなたのことを分かろうとは努力する。
ただ、あなたと私は違う人間だから100%わかるということはありえない。
分かろうとするのも、あなたがあなたの人生を生きられるようにどう支援していくかのヒントを得るためです。」

というような答え方をさせていただくことが多いです。

とはいえ治療の必要上、幻想であっても信じてもらったほうが治療効果が上がるのは間違いないので、精神療法の一環として一時的にそのような幻想を使わざるをえないことはあります。
医療機関としての立て付けや、権威性、エビデンスのようなもの、白衣などもその装置ですね。

当初は受容や共感はしてもらえたと思ってもらえるようには努めます。
そして、その後は、お互いに気持ちよく付き合い続けられるペース(枠組み)を設定し、エネルギーや情報を交換しつつ、ともに成長していくという関係性を続けらればと思います。
その中で専門職としての技術や知識をもとに、手立てを提案させていただき、楽に生きていけるようにサポートさせていただきます。

しかし、自分のことを相手に100%分かってもらうおうとすることや、常に無制限の期待に応えてもらおうということは、相手も人である以上不可能であるので、そのままではいつか期待が、失望、そして怒りに変わります。

ですので、ある程度安定してきたら、そういった幻想は徐々に手放してもらうほうがいいかもしれません。
また、手放していけるように診療をすすめていきます。

ところで異動や退職などで主治医を交代するときに、特に前の支援者への信頼が大きかった場合に、「前の先生(支援者)には長い時間をかけて私のことを話してきました。前の先生(支援者)から聞いていますか?」というようなことを言われたりします。

以前の支援者や、医師から担当を引き継いだ際にも、診療情報に関しては、どうしても最低限の限られた言葉での申し送りとなるので、以前の支援者との関係性をそのまま引き継ぐことは難しいです。
あらたな関係性をつくっていくなかで、交代のメリットが、継続するデメリットを上回るような形にできればいいなと思います。

自分はかつては「受容と共感よりも、具体的な手立てと見通し(そしてスキルの付与)を重視した診療をおこないます。」と明言していたこともあったので、ハードボイルドですねと言われたこともあります。

もし、自分のことは100%分かってもらいたいということを期待するのであれば、その対象は精神科医やカウンセラーよりも「神様、仏様、ご先祖様、ハイヤーパワー」などにしておいたほうが無難でしょう。
それらは、直接的には何もしてはくれないけど、いつもそばにいて、決して裏切らない。

神「God」はホモ・サピエンスの最大の発明です。

だから、宗教においては人は牧師であれ神父、神主であれ、あくまで神の代理人、仲介人という立ち位置なのでしょう。



一方で、自分や他人との対話をつづけ、考えて考え抜く「哲学」という方法がフィットする人もいます。

絶対的なものを想定するかどうかが、哲学と宗教の違いですかね。
そう考えると、仏教は哲学に近いもののように思います。

原始仏教などの超合理的な考えやメソッドは、とても現代を生き抜く私たちの役に立ちます。
そのエッセンスはアンガーマネジメントやマインドフルネスなどにも生かされてます。
(そのうちに解説しますね)

哲学者の中島義道先生によると、「哲学病」は自分より重症な哲学病の人に触れると治るといいます(なんとなくわかりますね)。ブッダやイエスは最重症の哲学病だったのかもしれません。

宗教や哲学は、精神医療や心理学よりもずっと長い歴史があって、世の不条理や人の悩みに向かい合ってきたものです。私も宗派にとらわれず、教養として、ゆっくりとそういった知恵を学んでいきたいとおもっています。

そして、社会の中においては一人の人に期待、依存するのではなく、多様な人、仲間にすこしずつ分かってもらうという方法がいいかもしれません。
回復や成長への効果の大きいとされるピアサポート(当事者同士の助け合い)や、セルフヘルプグループ(自助グループ)などはこういった考えが基本になっていますね。
哲学的対話や、がん哲学カフェなども広まってきています。

そう考えるとAA(アルコホーリクス・アノニマス:アルコール依存症の匿名で参加できる自助グループ)はハイヤーパワー、ビックブック、12のステップ、ピアサポートなどが専門職の関わりがなくとも運営できるように構造化されよくできていると思います。



クリニックの診療では医学生物学、心理学、社会学、精神医学などの知見を中心に、必要な治療や社会的な資源へとつなげ、まずできることを提案していきます。

イヴァン・イリイチのいいうように、医療はコンビビアリティ(共愉、ともに楽しく生きる)ための道具ですので、主体的に上手く使って楽に、楽しく生きていただければと思います。

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