縁のパワーでエンパワメント

選べるってことは素敵なことね

皆さんは自分で選んだ人生を生きられていると感じているでしょうか?

18歳をこえた若者に「選挙行った?」と聞くと、行ったことのないという若者もいます。
「投票したい人がいない。どうせ選挙なんて、いったってかわらないでしょう。」といいます。
知的障害があり、「親にお前は選挙には行かなくていいといわれた」という若者もいました。

彼らは選択肢を隠され、自分たちの未来は自分たちで選べないとおもっているのであり、教育の失敗なのか、成果なのか、メディア戦略の失敗なのか、成功なのか実に残念なことでだとおもいます。
このままでは若者が投票権を行使しないことで、ますます選べない国になってしまうでしょう。

また、投票する場合でも選挙をどう考えて自分の一票を活かすかということも伝えられていないようです。
地方自治体の議員選挙だと、団体や誰かに頼まれたとかではなく、政策や人間本位で、自分が応援している議員(あるいはその仲間内なら、当確ライン上にある人を)投票するのが基本です。
自分も不登校や教育、環境、福祉などの自分に関わる身近なテーマでの議員の知り合いが増えたり、仲間内から立候補する人も次々にでてきたりで、地方選挙は随分身近なものになってきました。

一方の小選挙区制での国政選挙はなかなか選択肢がすくないのですが、現政権を信任しそのまま任せたいと考えるなら、与党候補に投票するか、白紙投票、無投票に。一方、現政権ではとてもそのまま任せられないと思うなら、野党候補の中で一番勝てそうな人に投票することが基本です。

残念ながらそういう仕組みも学校ではあまり教えられていないようです。

欧州などでは、学校教育でもデモクラティックであるということが非常に重視されるようですが、日本は、まだまだ知らしむべからず、依らしむべしという江戸時代のメンタリティ。
逃げ場のない村社会での同調圧力で個人の思考を放棄して周りに合わせる空気が強いのかなあと思いますが、それがこの社会を息苦しくしているのだと思います。

特にマイノリティーの人には大切

私が発達障害の人たちに惹かれるのは、そういったことが出来ず、空気をよまないで、自由なところです。むしろ空気をつくる存在で、「王様は裸だ」といえる人たちです。もともとは。

そんな発達障害の人たちは社会の中で少数派です。自分に合った環境、人間関係、生き方を主体的にもとめていなかいとしんどくなりますので、自分で選んで生きることは特に大事になります。

大事なことは自分のことと世界のことの両方を知り、丁寧に自分で選んで生きることです。

全国の20歳〜70歳未満の男女を対象にアンケート調査でも、幸福感に与える影響力を比較したところ、健康、人間関係に次ぐ要因として、所得、学歴よりも「自己決定」が強い影響を与えることが分かりました。

医療の役割で健康問題は当然一番大事ですが、精神医療のテーマは人間関係、自己決定にも多くかかわります。

幸福感と自己決定―日本における実証研究

そういえば、医学生の頃、夏休みに北海道の僻地の診療所に実習にいったときに、そこの先生にすすめられてビデオで山本周五郎原作、黒澤明監督の赤ひげ診療譚をみました。

それまで知らなかったのですが、「赤ひげ」とは面倒見のいい田舎の医師ではなく、都市の実に社会的な医師なのでした。革命家といってもいい。そのドクター赤ひげ(新出去定)いわく、「現在われわれに出来ることで、やらなければならないことは、. 貧困と無知​に対する戦いだ。それによって医術の不足を補う他はない。」と。
そういえば革命家といえばまっさきに思いつく、チェ・ゲバラも医師でしたね。
精神医療の分野でも精神科病院を廃止したイタリアのバザーリアなどもほとんど革命家です。

貧困と無知はどちらも「選択肢の乏しさ」といいかえる事ができるとおもいます。
また自分が多く関わっている「障害(精神障害、発達障害)」といのも元をたどれば選択肢の乏しさでしょう。

選択肢を整理して示し、自分で選んで行動するのを後押し、その結果を引き受けられるようにする(そして、試しただけで大成功にする)ということを、繰り返すというのを応援するのが診療の基本だと考えています。
子育てや教育、支援もおなじですかね。
生存と安全、心理的安全を確保し、好きなもの、人、こと、できることが増えていく環境を用意する。
あとは本人の選択です。

こういったことをギョーカイの言い方だと、「エンパワメント」というのだとおもいます。
そして選択肢を増やしてくれるのは、ゆるいつながり、まさに縁のパワーです。

縁のパワーでエンパワメントする、マイノリティのためのよろず相談所のような診療ができればいいなあとおもっています。

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