精神科での診断ってそもそもなんだ?

「診断がほしい」という主訴の方がときどきいらっしゃいます。

医学的な診断というのは医師の業務独占事項であり、その診断をもとにして治療という流れが今の医療の主流です。
また、その診断をもとに、様々な社会的責務から免責されたり(診断書を提出して療養休暇にはいるなど)、必要な支援や配慮をうけられたり、障害福祉サービスや障害年金などの福祉的支援をうけられるという社会の仕組みになっています。

そうではなくても、自分の苦しみがどこからきているのか、納得したい、知りたいということもあるでしょう。

それゆえに診断とは重大なのですが、精神科医療における「診断」については、身体科の診断と同様ではない部分があるのです。しかし、そこの共通認識がないゆえの行き違いなども多くあるようです。

それでは精神科における診断とはどのようなもので、どのような意味があるのでしょうか。

身体疾患とおなじく診断、治療を行う領域


新型コロナウィルスによる感染症であるCOVID19などもそうですが、細菌やウィルスなどの病原体にしろ、遺伝子にしろ、病因がある程度同定され、それにまつわる疫学や、診断法、治療法が調査研究されてきているものを疾患単位といいます。
身体疾患の場合は、身体診察や検査により、病原菌を同定したり、遺伝子を同定したり、腫瘍を同定したり、遺伝子を同定したりという原因を追求していきます。

原因により近い診断を確定する検査のことをゴールドスタンダート(病理診断や遺伝子診断、病原体の同定など)といい、それには及ばないものの、診断を詰めていく力のある身体所見や検査結果を積み重ねて、複数の可能性のある診断(鑑別診断)の中から臨床的に診断を確定していきます。診断を確定することで、既存のエビデンス(統計的根拠)をもとに治療なされます。
根治治療が難しいものでも、対症療法や、緩和的なケアがなされ、経過や予後の見通しがたつため、それをもとにいろいろ生活を考えていくことが出来ます。


精神症状が主たる症状のものでも、背景に脳腫瘍や内分泌の病気、自己免疫疾患、認知症などの神経変性疾患、薬物などの原因が明確なものの場合も同じでしょう。精神科医といえども、医師であるからには、まずその可能性(外因性精神疾患といいます)がないかというところから疑って調べていきます。
精神症状があるがゆえに精神科に紹介された患者さんに関して、精神疾患ではなく身体に原因がある疾患であると疑って差し戻すのが最初の仕事になります。

いわゆる精神病(精神科医療ならではの領域)


一方で原因ははっきりとは突き詰められていないけれども、似たような症状があり一定の経過をたどり、一定の治療や支援方法が確立しつつあり、それにそって調査や研究がなされている群のものがあります。
統合失調症や双極性障害などの内因性精神病といわれているものです。

たとえば、統合失調症とは今のところ青年期に発症し、ストレスがかかると思考や行動がまとまらなくなる、そしてドパミン遮断作用が主の、抗精神病薬が症状の改善や悪化の予防に効果がある症候群といったところです。

個体要因、環境要因がどちらも原因としてあり、疾患単位としてあいまいで、臨床検査やバイオマーカーなどもスタンダードとして確立されたものはありません。また様々な類型があります。

このように疾患単位がありそうだけれども、現在の医学ではまだまだ不明なところが多いものです。この場合の診断を類型診断といいます。

類型診断は将来の病因解明のための基礎資料にもなります。
統合失調症様症状を呈するのなかから、梅毒、ウィルソン病、カルボストレス型統合失調症、抗NMDA受容体脳炎など、原因がわかったものから疾患単位として分離されていっているような状況です。

これらの類型診断のためには、その症状や経過のチェックリストを用います。
◯項目のうち◯以上当てはまれば診断する、みたいな感じですね。
我が国では研究用にはDSM5というアメリカ精神医学会のものが、行政や統計のためにはICD10というWHOの作成したものが多く使われており、それぞれ相互に影響をあたえながらバージョンアップしています。

多職種と共同すべき多様性に関係するこころの問題

さて、のこったものが問題です、それらは、こころの偏りであり、主に心因論から読み解かれるものです。
こころの偏りは、あくまでも正常(通常、平均)からの偏位であり、その程度にも幅があり、少数派であるがゆえに社会適応がわるいから、精神疾患としてとりあげられることになります。
これらもDSMにカタログ的に収載されていますが、時代により流行り廃りがあったりします。

かつては神経症といわれ、精神分析的な考えで読み解かれるのが主流でした。
そこから、パーソナリティ(対人関係のパターン)の視点が加わり、AC(アダルト・チルドレン)などの文脈が流行った時代もありました。ここ最近は、発達の視点が加わり、そこにアタッチメントやトラウマの視点も加わってきています。

一人の人をどの角度から見るかによって、さまざまな診立てができるもので、一つだけの診断が確定できるものでもないのです。

と考えるなら、これらは診断というよりも、あくまでも類型にすぎず、支援のための仮説であると言えるでしょう。
あくまで類型であって、他の身体各科のような、あるいは器質精神疾患のような診断、または内因性精神疾患のような類型診断ではないという意味です。

いづれにしろ、生まれてからの発達生育歴、教育歴、職歴などの時間軸、家族や周囲の人との関係性などの空間軸、さらに遺伝子の流れもなども考え、今の状況の把握と、今後どうなっていくかの見通し、手立てを含む診立てを、仮に一つの診断名としてとりあえずまとめているだけです。
あるいは保険診療で薬物を使う上で診断名が必要という行政的な要請により、診断としてつけているに過ぎない場合もあります。またその診断名をもとに、医師と本人や周囲の人と共同戦線をはるための共通認識であるという場合もあります。

このように、ひとことで「診断」といっても、それが診断なのか、類型診断なのか、類型にすぎないのかということは注意が必要であり、ここがごちゃごちゃになっているがゆえの医師、患者(当事者)、周囲の人の行き違いがおこることが多くあるように思います。

精神科医は、このように考えているのだと知っておいていただけると嬉しいです。
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