自分が主人公の人生を。ネットやゲームとの付き合い方

先日、松本市の養護教員の先生方の勉強会でネットやゲームとの付き合い方をテーマにしたお話をさせていただく機会をいただきました。

この機会に、自分史とかさねてゲームやネットの発展の歴史を調べたり聞いたりしながら表をつくってみたのですが、RPGや対戦格闘ゲーム、ゲームプログラミング、ホームページづくり、掲示板、各種SNSなど自分がそれぞれの時代にはまったゲームやインターネットを介した活動を振り返りしみじみとしてしまいました。

ネットやゲームのある世界

こうやってまとめてみるとネットやゲームというのは、ひとまとめにするには広すぎる、大きすぎるものだと感じます。

囲碁や将棋、スポーツなども広い意味ではゲームです。
スポーツや囲碁にはまってそのプロを目指すのはわりと褒められて応援されますが、麻雀やトランプだと心配され、eSportsのプロを目指すというと怪しがられるのはなぜでしょう。ネットゲームが好きだと言うと理解が得られにくいですが、ボードゲームだというとちょっと安心するのはなぜでしょう?
単に慣れの問題でしょうか?商業主義が問題とされるのでしょうか?しかしスポーツだって商業主義が言われてます。

そしてインターネット自体には良い悪いはなく、道路と同じように社会のインフラに過ぎません。

自分らの世代はゲームやネットの発展ともに生きてきたので、時には痛い目にあって学びながら、だんだん出来ることが広がっていったような感覚があります。

今の子供達はうまれたときからインターネットやゲーム、スマホがあり、常時接続なども当たり前にある世代です。いつからかなど定義は曖昧なようですが、デジタルネイティブというそうです。
今の子どもたちのネットやゲームに対する感覚は親世代ともまた違うのではないかと思っています。

しかし残念ながら大人が子どもへ、家庭や教育の場でゲームとの付き合い方、ネットの使い方をきちんと教えていくというノウハウはまだまだ蓄積されていません。ネットを使わないでいればトラブルもないでしょうが、今度はネットやICT機器を使いこなせる人と使えない人のデジタルディバイド(ICTのスキルやリテラシー、活用に差ができてしまうこと)も問題になっています。
もはやネットのない時代に戻ることはないのです。

2021年から格差是正装置でもある公教育の役割として、GIGAスクール構想として予算が付き、タブレットやPCなどの端末と回線がすべての子どもに行き渡りました。
やっとスタートラインにたったところです。

コミュニケーションツール、居場所としてのネット・ゲーム

ゲームは子どもたちの文化でもあります。
子どもたちにとってもリアルな友人とも同じ時期に同じゲームに熱中することでお互いが繋がるコミュニケーションツールになっています。LINEなどのSNSがつかえない小学生はオンラインゲームがSNS的な役割をはたしていたりもします。

この国の政治が機能していないせいもあるでしょう。庶民の生活の貧困化がすすみ、親や学校も忙しい状態です。
子どもにおとなしくしてもらうために、小さな頃から便利なスマホやゲームを与えてしまったりします。

その一方で地域社会の中で子どもたちが、自分たちでルールを決めて、少々の失敗は許されながら自由に安全に遊べる場というのは少なくなりました。
昔は小学生でも友達の家に行き来したり、勝手にあつまって遊んだりしていたものですが、今は大人の管理する習い事や放課後児童クラブ、放課後等ディサービス頼みです。

そんな中、新型コロナウイルスの流行で、外遊びできない子どもたちはオンラインゲームの世界に集って遊んでいました。子どもたちにとってオンラインゲームは様々な制約の中で比較的低コストでアクセスしやすい自由な場所です。デジタルネイティブの彼らはあっという間に使いこなせるようになってしまいます。

不登校やひきこもりでも、ひょっとしたらオンラインの世界で大切な仲間がいたり、ランカーというランキングで大活躍しているかもしれません。コツコツとやり込み、マインクラフトやプログラミングもできるゲームで大作をつくったりしているかもしれません。
それらのおかげでかろうじて苦しい中、自殺せずに食いとどまっている方もいるでしょう。


発達障害、ネットゲーム、不登校・ひきこもり



臨床の場で、不登校や引きこもり、発達障害、ネットやゲームは三位一体となっていると感じます。

「学校はやりたいことはやれず、やりたくないことばかりやらされる」と言っていた小学生がいました。

ASDやADHD、LDなどの発達障害があると、動機や学習スタイルが多数派とことなります。
そういったことに対する配慮のないまま学校で「みんなと同じ」、「みんな、なかよく、がんばる」を強要されたり、なかまはずれにされたりするとそんな場には行きたくはなくなるのは当然です。

まず親や大人は本人が好きなもの、興味のあるものは何だろうと興味を持ちましょう。
子どもに教えてもらったり一緒に楽しむのもいいと思います。
雑談9割、相談1割のコミュニケーションです。

そして大人がそれぞれが楽しく生きている姿を見せ、楽しいとおもうことを伝えましょう。
ゲームも面白くて趣味としていいものだけれど、そこから広げてもっとクリエイティブなことがあるよ。
ワクワクドキドキする楽しいことが世界にはあるよということを示していきましょう。
そして大人が心配していることも伝えましょう。

すでに世界にある、楽しいゲームとも上手く付き合い、便利だけど落とし穴もあるネットを上手く使って自分が主人公の人生というゲームを楽しめるように、土台をととのえ、いろいろな提案をするのが大人の役割、医療、教育、福祉の大人の役目です。

そして、子どももゲームをやめられなくてまずいと感じていることがわかったら、対話を継続する中で本人が納得できる、そして守れるルールを決めましょう。
そしてルールを守れるように支援します。


ここで後で述べるゲーミフィケーションの手法が役に立ちます。
いったん決めたルールは大人の側も守ることが大切です。意外と守られないままのルールが放置されたり、大人の側が約束を先に破ってしまったりということが多いのです。
そしてルールを守ることで自分の維持したい暮らしと楽しみな明日が守られることが分かると、自己管理能力を身につけ他律から自律できるようになっていきます。

診察室などでの第三者の役割は、親子が対話ができる土台をととのえ、双方が大人が約束をまもれる支援をしていくことです。
対話が継続できていると、いきつつもどりつしつつも、あるいは階段状に、必ず双方に成長がみられます。

ネットのリテラシーは早くから教えることが必要

今後、インターネットなどを使わないで生きていく時代にもどることはないでしょう。
そのメリットを思う存分享受しつつ、デメリットを最小化することが必要です。

メリットとしてICTの発展やネットインフラの充実で絵や動画、ゲーム、プログラム、小説などの創作やオンラインのイベント開催などもコストをかけずに出来るようになってきました。

スマホさえあえれば動画の撮影や編集もでき、Youtuberになれます。
ツイッターやインスタグラム、Tictok「小説家になろう」や「Pixve」などのテーマごとのコミュニティサイトも充実しています。

誰もが今すぐにクリエーターや発信者になれる時代なのです。

そんな時代のおすすめの指南本が以下の本です。
ネットの時代、学びの形、仕事の形が変わってきているのが理解できるかと思います。
外来待合室の本棚においておくのでよろしければ御覧ください。




そして、英語などの外国語も使えれば世界中から情報を得ることができ、また発信してつながれたりします。
いまや機械翻訳の性能が上がってきたのでさらにハードルは下がるかもしれません。
オンラインゲームのボイスチャットで「俺なんとなく英語話せるし」と言っていた小学生がいました。けっこうやばい罵詈雑言なわけですが・・💦

インターネットやそれを利用したサービスはインフラで道路にしかすぎません。
しかし何でも出来てしまう、一瞬でどこへも行けてしまう道路です。
知らない人と会えるのが良さですが、怖さでもあります。
いきなり小中学生が歌舞伎町の夜の街(トー横)にいけちゃうような恐ろしさがあります。

親からは見えないネットの世界で、ネットいじめや、個人情報の流出などの対人のトラブル、課金などの金銭トラブルにあっても子どもたちは誰に相談していいかわからなかったりします。

そんなとき保護者と対話が出来ていない場合などはどんどんとドツボにはまっていきます。

そのインターネットという道路の、安全な通行の仕方を、交通ルールや自転車の乗り方など段階的に学んでいくように早くから子どもに丁寧に伝えていく必要もあります。
ステップを踏み、安全に使うリテラシーを身につけることを支援することが必要です。

ゲームのハマる仕組みから学ぶべし


さて、ゲームというのはそもそも徹底的に考えられてハマるように作られています。
いや毎年たくさん生まれるゲームの中でハマるゲームが流行し生き残っています。
その仕組の巧妙さには知れば知るほどおどろくことほどです。


たとえばスマホゲームの王道のモンスト(モンスターストライク)などやってみると、いろいろな報酬、リアルタイムで設定されるコラボレーションやイベント、モンスポットという位置情報との融合、仲間との協力などさまざまな要素が作り込まれています。

ちょっとした操作自体に快がえられる仕掛け があり、スモールステップの課題と報酬の連鎖があり、上達や達成度が可視化されています。
そして難しさ、本人のスキルのバランスが絶妙に調整され飽きさせずハマる状態が維持されるのです。
かつてのゲームと違ってオンラインでアップデートされ次々とイベントが仕掛けられるゲームはクリアして終わりということがありません。

そんな素晴らしい(恐ろしい)ゲームがあふれる世の中で、自分が好きなこと、出来ることをコツコツ増やし、そのなかで社会と交わるところを見つけていく必要があります。

ゲームは目的とルールと敵があるものと定義されるかもしれません。
とすると人生そのものをゲーム化することも可能です。ただし目的は自分で見つけていかないといけません。「定価5500円のTVゲームに、面白さで負ける人生を送ってどうする!」ということで人生ドラクエ化マニュアルなる本もでていました。



そのためには周囲の大人はまず本人がやりたいこと、好きなことから出発して、それならこれも好きなんじゃない?こういう事ができるともっと楽しくできるよ?
ルールをまもるとそれができるよと提案をしていくことが大事です。
いやそもそも大人が好きなことやできることをいかしながらルールをまもって楽しく生きているのかなあと心配になります。

どんな人生ゲームを生きるかを探す際、どのようなゲームを好むか、どのようなプレースタイルをしているかも参考になります。


人生というゲームを楽しむために


ネットやゲームの世界は幅広く奥深いです。
そしてネットやゲームはリアルな世界と融合してきています。

かつてのTVゲームはTVにむかって一人でするものが多かったように思います。
そこから対戦プレイしたり協力プレイしたりするようなものも増え発展してきました。
そして、ポータブルゲーム機から、インターネットの発展でオンラインの場に舞台をうつし、チーム戦になったり、ボイチャ(ボイスチャット)などリアルタイムのコミュニケーションも入ってきてきました。
そして、IngressやポケモンGO、ドラクエウォークなどの位置情報ゲームのようにリアルな世界と融合してきています。さらにリングフィットアドベンチャーなど、フィットネスとゲームを融合するためにゲーミフィケーションの手法を徹底的に利用したゲームもあります。
今後はVR(バーチャルリアリティ)も安価になり、一般的になってくることでしょう。



そうなってくると、もはやどこまでがゲームで、どこまでがリアルかなんていう差はなくなってきているのかもしれません。

自分から世界に飛びだったり、日本を徒歩や自転車で一周したり、自分で企画したり、創作して発表するなどICTをツールとして使い倒して、世界を舞台にしたゲームを楽しめるツールはそろってきています。

発達障害はネット、ゲーム依存のリスクではあるようですが、そのハマり方はさまざまです。
また子どものゲーム依存は流動的で可変的、自然回復もありうるという調査もあります。

小学の頃から、学校不適応で長らく不登校となりゲーム沼にはまっていた中学生が、突然、「おれゲームが飽きた」と報告に来てくれました。勉強やスポーツなど自分がやりたいことも言えており、次は大人のターンです。
大人は子どもたちにゲーム以外のどんな面白いことが提案できるのでしょうか。

診療の中でYoutubeのアップロードやツイッターの趣味アカウントの作成などを子どもたちと一緒にやったりして後押しすることもあります。私も子どもたちにも今のはやりのゲームや文化を教えてもらい一緒に楽しみながらネットやゲームもある世界を冒険していす。

ネットやゲームとの付き合い方、ルールの決め方などのより細かいノウハウは関正樹先生らの本、吉川徹先生の本がおすすめです↓


      



トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました