感覚のことと対話のこと。HSPあれこれ。

コラム

HSPとASDなど精神疾患の関係や我が国での流行について、精神科医向けの雑誌に書いてほしいとたのまれました。

HSPの始まりや、精神医療の中での位置づけにについて調べてみましたのでここでも紹介させていただきます。

HSPというアイデアのルーツ


HSP(ハイリーセンシティブパーソン)は「ひといちばい敏感な人」という意味で、あるタイプの気質(生まれつき〜成人になるまでに決定される性質)を表すラベルです。

アーロン女史が1996年に一般向けの書籍で「ひといちばい敏感な人(ハイリーセンシティブパーソン)」として、その概念を示したのが始まりです。
その本“The Highly Sensitive Person“は世界でベストセラーとなっています。
「敏感すぎる私の活かし方」というタイトルで邦訳もされています。
初版以来、後々のさまざまな知見も含めて改定もされており、HSPのバイブルといえるでしょう。
日本語版は翻訳書でもあり、もともとが雑多で情緒的なため少々読みにくいところもありますが、とくに当事者の方にはヒントは色々得られる本かと思います。

HSPの提唱者であるアーロン女史はユング心理学から出発した心理学者で、研究者、臨床家、小説家でもあるそうです。
ユング心理学は集合的無意識など、スピリチュアルとも親和性の高い心理学で、オカルトちっくなところもありますが私は結構好きです。
今の生命科学からは生まれるまでの記憶(集合的無意識)は遺伝子に刻まれているのはわかっていますので、進化心理学などとあわさって面白い学問領域になるのではないかとおもいます。



その他にもアーロン氏のHSPの子育てやパートナーシップを扱った著作がありますが、どの本も細やかなアドバイスにあふれ、一つの世界観を形成しています。

アーロン氏は、自身が作成したHSPに関する27項目の質問項目の中で「極端に強い」と感じる項目が1つか2つでもあてはまればHSPの可能性があるなど実は厳密なHSPの定義をしていません。
のちにアーロンはHSPとは感覚処理感受性が高い人でありそれには以下の4つの側面(DOSE)があると言うようになりました。

すなわち

「認知的処理の深さ(D)」
「刺激に対する圧倒されやすさ(O)」
「情動・共感的反応の高まり(E)」
「ささいな刺激への気づき(S)」 

このすべて当てはまるものをHSPとました。

これらの質問項目は誰にでもあてはまるような項目が多く、どうとでも言えてしまいます。
このあたりの線引きのあいまいさ、詰めのあまさ、定義の不明確さが今の混乱をよんでいるようです。
もっとも、明確な定義をしない優しさ、あいまいさががきわめてHSP的であるともいえます。
診断を得なくても名乗ることができ、さまざまに主観的な体験を語ることができる。
書籍でもアーロン自身が自分はHSPであるといい「私たち」を主語にHSPを説明しています。
客観的な記述がもとめられる科学的、学術的なものではありません。
(アーロン氏は学術的な論文もたくさん書いてはいます。)

今の精神医学ではHSPが扱えないわけ



一方の精神医学会や行政においては学術的、臨床的に国際的に精神疾患・障害に関して疾患単位として未だ明確じゃないものも、とりあえず類型診断としてまとめ、操作的に診断ができるようにした上で調査研究や臨床研究をして、病態にせまり治療、支援方法を蓄積していこうという立場です。そうしてできた診断基準にはDSM5(アメリカ精神医学会の診断基準)、ICD11(WHOの診断基準)があります。
どちらにも当てはまらない、また従来の伝統診断にも含まれていないHSPを医療で診断することはありません。

  →精神科での診断ってそもそもなんだ?


それに比べるとHSPは明確な基準や定義を定め、それをもとに調査や研究をしていこうという手続きをふんでいないため、どうしても「私のHSP」論が出てきてしまうのだと思います。

学術的にはHSPはパーソナリティ心理学や発達心理学の領域において環境感受性の高い方と定義されます。
環境感受性の気質・性格的側面(感覚処理感受性)は正規分布を示すスペクトラムのようです。
多因子からなる気質の多様性の一つということですね。
これはスッキリとした定義です。

一方で民間ではHSPは精神性が高いなどと特別のものと扱って分断をあおる言説もあります。
スピリチュアルと結びつくなどポピュラー心理学では行き過ぎたブームになっているようです。

それを憂い、学術的なHSPとポピュラー心理学での「HSP」との違いなどを東京大学の心理学研究者の飯村周平先生が、色々発信しており非常に参考になります。

 HSPブームの今を問う(飯村周平:東京大学・日本学術振興会PD)

  研究にもとづく信頼できるHSP情報サイト
         ↓↓↓
    Japan Sensitivity Research


あえてHSPを精神医学的診断と重ねてみると

私の個人的な意見としては自閉スペクトラム症(ASD)の一部の感覚が過敏で共感性が強く、知的障害をともなわない、支援が必要なものと重複していると考えています。
だから、対人コミュニケーションが問題にならないHSPだけというものもありますし、過敏というより鈍感なASDだけというものもありえると思います。

このあたりの感覚処理障害、感覚処理感受性、感覚統合障害などの関係性やメカニズムはまだまだ未知のところが多い分野です。アーロン氏やHSP研究者、そして当事者の方はHSPとASDとは別物だと言う方が多いようですが今後の解明が待たれます。



HSPが大好きな精神科医の言い分は?

オーセンティック(正統)な精神科医は、医学的な診断ではないHSPを診断したり、HSP外来などと名乗ることはさすがにしないでしょうし、学術的に精神医学側からHSPにたいしての言及したものはほとんどないのですが、HSP概念の導入や活用に積極的な精神科医もいます。

浜松医科大学の高田明和医師はその著書で「HSPは発達障害とは別ものである。」といいつつもHSP、発達障害、グレーゾーンをマイノリティとして同列に並べ、考え方のヒントや手立てを示していました。
この本でしばしば主張されているミラー・ニューロン説はいまのところ科学的根拠に乏しいようですが・・。
入り口は何であれ、とりあえず当事者の困り感に寄り添う名前をあたえ手立てにつなげて、こぼれ落ちるひとを減らす。これはこれでありうる方向性だと思います。

北海道帯広市でHSP/HSC外来をおこなっている「十勝むつみのクリニック」の長沼睦雄医師は、「神経発達症のように複合的な要素が絡まりあっている患者さんに向かい合うためには、HSPやHSCへの理解が必要」と主張されています。
これも、自分も臨床上感じるところですね。
まあASDからでもいいとは思いますが。


精神科・心療内科医で子育てカウンセラーで子育てハッピーアドバイスシリーズで有名な明橋大二医師は、アーロンの著書「ひといちばい敏感な子ども」を翻訳するほどHSCのスポークスマンになっています。


その著書「教えて明橋先生!何がほかの子と違う?HSCの育て方Q&A」の中で、「HSPは発達障がい(ASD)とは異なる。 」といいつつも「HSCにとって必要な支援と発達障がいに必要な支援は、それほど違いはない。」とのべています。
これに対しては以前のコラムでツッコミをいれました。

  →HSP/HSCの概念の有用性と危険性


使えるものは使っていこう

HSP/HSCのセルフケアや関わり方として言われていることには以下のようなものがあります。

  • 刺激の多い環境を避けるなど刺激の調整をすること。
  • 長時間労働を避けること。
  • 休憩(ダウンタイム)が必要であること。
  • 親密な関係は職場以外で築いた方がいいこと。
  • 自他の分離をし、境界線(バウンダリー)を引くこと。
  • 子どもの場合はその子のペースを尊重すること。
  • ほめること。
  • 気持ちをうけとめること。
  • 自己肯定感を育むこと。
  • スモールステップを設定すること。

    などなど。

こういったアドバイスはどれもASDに対しても有効だとおもいます。
そして、HSPのひといちばい敏感な人には育ちの環境の影響を「よくもわるくも」受けやすいという考えは、もっと発達に関わる人達に理解されてもいいのではないかと思います。

このタイプの方は集団の中で周囲に合わせて動けてしまうため見逃されやすく個別に必要な支援がなされないことも多いです。
特に女性は周囲をとりこみ合わせてしまうので、その特性が社会的にカモフラージュされやすい。
家庭生活、学校生活、社会生活において過剰適応になりやすいです。
自分が世界に働きかけることで世界が変わっていくのだという実感がうすくいため受動的になりやすく、自他の境界があいまいなまま我慢を重ねるため、のちのち二次障害や不適応を起こしやすいです。

外からの過剰な刺激から身を守り、自分の内なる声と対話し、自分軸で活きるのが幸せにいきるコツです。

「繊細さん」、「HSP」などの非医学的ラベルであっても、その気質を見いだされ、手立てがみつかり、その子にあった育ちの環境を得られるのであればそれは有用なラベルだと思います。

発達とは個体と環境との相互作用ですすんでいくものです。
外部環境との接点であり発達の土台である感覚をそのままにしておくと、のちのちコミュニケーションの困難、適応の問題などに繋がってきます。
適切な感覚処理のアセスメントに基づき、感覚への入力の量と質をコントロールして、自分の気持ちに気づくことができ、暮らしやすい環境を作るなど早期からのかかわりや支援を考えていくことが重要です。
それぞれに個別な感覚のことへの配慮、それから構造化、視覚的支援などの情報環境の整理、そしてそれを用いた自分自身、そして周囲の人々との対話を継続することはHSP、ASDどちらにも必要なことでしょう。

個人的には実際の臨床上はHSPに関する言説(アーロン氏本来のものと、学術的な環境感受性理論のもの)、神経発達症(自閉スペクトラム症の支援)で積み重ねられてきた知見(TEACCHやABAなど)のいいとこどり、折衷でいいのではないかと考えています。

ここにご注意ください!


HSPは過敏で察しが良すぎる、分かりすぎるということも確かにあるかもしれませんが、全てに察しがいいわけではなく、情報が入りすぎて混乱する部分、理解するのに時間がかかる部分、見えていない部分もあるはずです。
ですので周囲の人は必要な情報を整理して裏表なくわかりやすく伝えるということは大切です。
これはASDの方への配慮と同様になります。

しかしHSPの手立てに関しては、視覚的に(スケジュールやカレンダー、絵カード、タブレットなどで)見通しや選択肢を示したりということがあまり言われていません。
おすすめは、最初は、おめめどう®の巻カレンダー、コミュメモなどからです。

自分は(うちの子は)HSPでASDではないよ、という方もぜひ、筆談コミュニケーションや図示などは活用してみてください。

また公的なサポートを得るためには、どうしてもASDなどの医学的な診断は必要となります。
HSPにこだわるあまり(ASDなどの診断を避けたがるあまり)、必要な支援から遠ざかるのはもったいないです。

また、あいまいなところには精神疾患の不安、個人の不安につけ込み商売の種にしようとする人もでてきますので注意が必要です。HSPのカウンセラーの資格ビジネスや、依存させっぱなしのカウンセリング、HSPうつにたいして自由診療でのTMS(時期刺激療法)をすすめるクリニックなどには注意が必要ですね。


トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました