興味の無いことに興味をもたせるお薬はありません

新学期がはじまりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

子どもの診療をおこなっていると、学校で子どもが落ち着いてすごせない、荒れているなどで子どもを受診させたいというような相談が実に多いです。

そういう子どもに対して学校や支援者から「いまはおちつく、いい薬があるから受診してもらってきてください」といわれて受診をすすめられたりすることもあるようです。

また受験が近づいて焦る親から「成績があがらないのでお薬でなんとかなりませんか?」というような相談を受けることもあります。

しかし、これらの多くは、学校などの環境と子どものタイプ、学習スタイル、ゴール設定のミスマッチであり、お薬であれ療育であれ、ソーシャルスキルトレーニングであれ、周囲の都合や希望で子ども変わることのみを要求するのは実にアンフェアです。

本当に嫌なことや自分に合わないことを強いられたときに、大人ならばそこから逃げたり、場所をかえたり、付き合う人をかえたりということも割と可能になってきますが、特に小さな子どもの場合は自分から選べる選択肢がすくないですから。

本人にとって合わない環境、不安と苦痛と混乱の中にに放置され、そういった苦しい状況から脱しようとする試みを、大人は「わがまま」「我慢がたりない」といって本人のせいにしてはいけません。

ADHD(注意欠如・多動症)タイプの子どもは、生まれつき刺激をもとめ、外部、あるいは内部の刺激(ひらめき)に反応して、考える間もなくうごいてしまい、やっていたことを途中で忘れてしまい続けられなかったり、失敗ばかりして、叱られて、学校も大人も勉強もみんな嫌いになりがちです。


また、ASD(自閉スペクトラム)タイプの子どもは、生まれつき世界の見方や感じ方、興味をもつものが多数の子どもとは異なります。目からの情報は入りすぎる一方で、時間や空間のなかに自分を位置づけることが苦手です。
多数派向けの環境に放置されると、興味のないものを納得のないままに強要されたり、感覚の違いなどもあり集団にうまくなじめなかったりします。

3つ子のたましい100までといいますが、こういった特性の多くはおとなになっても形を変えて残ります。

ただ、本人にあった育ちの環境の中で自分の好きなこととできることを増やしていくと、思春期以降、自己理解と社会理解がすすむことで、多数派向けにできた社会の中でも、ツールを活用したり、苦手な部分は助けを借りたりしつつ、自分の特性のあった場所に身をおき、ASD、ADHDのいいところ、得意な部分を活かして居場所をみつけることができます。


そして必要なときには最低限のTPOに応じた振る舞いができるようになり社会の中で生きていけるようになります。

ですので、少数派の発達特性をもつ子どもたちは、その特性に周囲がはやく気づき、多数派むけの学校教育といった環境をいかにカスタマイズしてつかうか、環境を整え、ツールやお薬もつかって、不安なく苦痛なく混乱なく過ごせる環境を保証していくかということがキモになります。

とくに感覚への配慮と、コミュニケーション支援(得意なインプット、アウトプットを使うことを保証する)を継続していくことが必要です。

その一環として過敏性、易刺激性を緩和したり、衝動性を緩和するなどのお薬があることで学びやすくなるということはあります。

お薬に関しては、ADHDの方へのお薬(コンサータやストラテラ、インチュニブなど)の不注意や衝動性、多動性への効果などは時に目覚ましいものがあります。
成人の方が、はじめて診断をうけADHDのお薬を飲んだ時に「みんなこんな世界を生きていたのか、ずるい」と、おっしゃっり、あらためて自分の特性に気づいた方もいます。

また、ASDの方もお薬(リスパダールやエビリファイ)易刺激性が緩和されて楽になることもあります。

ただ、興味のないものに興味をもたせるお薬はありません。
状況に応じた適切な行動と、その理由を教えてくれるお薬はありません。
見えない選択肢を教えてくれるお薬はありません。

周囲の都合で本人の納得なくお薬の使用を本人に強いることは、本人にそのままの本人じゃだめだというメッセージを与えてしまいます。なまじ、お薬に効果があるものですから、おちつかないと「お薬を飲んだのか?」とお薬を飲まないせいにされ続けたりするとなおさらです。

こうなるとお薬も本当に必要な時に自助具として本人が必要なときに自分を助けてくれるツールとして使えなくなってしまいます。

お薬を使う前に、本人の特性や志向性にあった、学びの環境の調整や関わり方の工夫、ツールの活用を十二分にすることが先です。その上で親や周囲の都合ではなく、子どもであっても本人と丁寧に相談しながら必要なときには自助具としてのお薬も選択肢として提案していければとおもいます。

お薬を始めるのは親や周囲にすすめられてということが多いですが、漫然と継続はせず、隙あらばやめてみることを常に考えることが大切です。
思春期以降は、やめるか続けるかは本人の選択であり、メリット、デメリットをお示しし、どちらの自分にとっていいかで選んでもらえばいいのだとおもいます。






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