<叱る依存>がとまらない。どうすればいいのか?

コラム

<叱る依存>という視点を

村中直人先生の渾身のご著書である”<叱る依存>がとまらない”。
やっと読むことができました。

この本は<叱る依存>というキーワードをもとに、脳科学研究に基づいたトラウマの視点と行動分析の視点、依存症の視点、社会の視点をつなぎ、現代の病理を読み解く内容となっています。
後半には具体的なアクションプランと考え方もミクロ、マクロそれぞれに書かれています。
おめめどう支援やペアサポ、オープンダイアローグをはじめ、最近のさまざまな対話に基づく技法の理論的背景を知るためにもおすすめです。

<叱る依存>は、DV、虐待、マルトリートメント、パワハラ、校則、依存、厳罰主義などと根っこを同じくしています。
専門職にとっては多くは既知の内容ではありましょうが、<叱る依存>という新たなキーワードをもとに様々な研究や文献を引きつつ明快に書かれており、あらためて自分の行動を見直すきっかけになるでしょう。
<叱る依存>の恐ろしさ、根深さに恐怖を感じる方もいるかもしれません。

特に、知的障害・発達障害の人々は大人も子どもも「叱られる」ことが非常に多い人たちです。
少数派であるというだけで、場の権力の非対称性の中で「状況を定義する権利」から排除されやすく不条理な我慢を強いられがちだからです。
その結果はどうなるかは前回のエントリーに書いたようなことです。




以下、内容に関して簡単に紹介させていただきます。

<叱る>のはコスパも悪いし学習を阻害する


<叱る>は権力の非対称性の中で相手を変えるための行為です。
ここでの権力とは「状況を定義する権利」のことです。
つまり、他者への一方的な変化への願いにもとづき相手にネガティブな感情をあたえる行動であり、叱る人の意図に関わらず、受け手がどう感じたかということが重要だそうです。

そして叱ると罰は連続性があるといいます。
嫌味や皮肉なども同様でしょう。

子どもに対して「教育」や「しつけ」など社会規範の獲得のための働きかけが行われます。
社会規範の獲得は本来、一つ一つのルールの意味、理由を考え咀嚼することでものにしていく過程です。
その具体的な方法論や考え方は、おめめどうの支援などでおなじみですね。
相手の分かる方法できちんと聞いて、きちんと伝える、そして自分で責任がとれるようにして納得感をもって進んでいくのが基本です。

しかし、叱るはそういった理屈抜きに恐怖を身体に覚え込ませ危機からの回避や闘争の防御システムを起動するメカニズムであり、扁桃体が過度に活性化するようなストレス状況に置くことで、知的な活動に重要な前頭前野の活動を大きく低下させてしまいます。

報酬系回路が活性化させて人の学びをささえる「冒険モード」のメカニズムとは真逆なシステムであり、禁止と罰のみで人の行動をコントロールする政策は非常にコストパフォーマンスが悪く実際、成果を上げてません。
叱る人が成果があったというのは、単に学習性無気力を引き起こしただけという幻の成功体験です。
理不尽によって「諦め」を引き起こし、「欲しい、やりたい」という気持ち自体を奪われた状態がつづくと、人はそもそも「やりたいことが何もわからない」という状態になってしまう可能性が高くなります。

実際、診療しているとそういう若者に多くあいます。悲しいことですが・・。

叱りたくなったら

それではなぜ私たちは<叱る依存>がとまらないのでしょうか。
この本では<叱る>行為に依存性があるメカニズムも詳しく説明されています。
自己効力感Up、処罰感情の解消などの報酬が得られる、現実からの逃避、成功体験(生存バイアス)などあり、やめにくいなどのメカニズムがありますが詳しくは読んでみてください。

処罰感情は、人に快を与える報酬ではあるけれど、取り扱いに注意が必要な性欲に似ており、どのようにそ欲求をどのように充足させるのか、理性によるコントロールが必要です。

人が本心から変わろうと思えるためには、少なくとも自分を受け入れてくれる「仲間」といろいろな意味での「ゆとり」が必要です。

今この瞬間には本来必要のない我慢を与えたくなったら要注意です。
もしかしたら<叱る依存>の罠にはまってしまっているかもしれません。
これって、叱られ続けてきたことに対するトラウマ反応の部分もあるかもしれないと思います。
<叱る依存>の連鎖は私たちの世代で終わりにしませんか?

本来「叱る人」は権力者として、相手の望む未来に責任をもたなくてはいけません。
「普通」「常識」「当たり前」などの言葉で自らの責任をごまかしてしまうのではなく、堂々と自分を主語にして語ることが大切だといいます。
そして叱る人、叱られる人のそれぞれが、自分を主語にしてお互いの望む未来を大切にし、そこをなんとかすり合わせようとしているかぎり「叱らずにはいられない」という状態にはなりにくくなります。

この本の中ではキーワードとして明確には述べられてはいませんが、やはり通底するのは「対話」の大切さですね。ポリヴェーガル理論で読み解くと叱ることは闘争か逃避のストレスシステム、フリーズからシャットダウン(背側迷走神経系システム)を起動し、対話は社会交流システム(腹側迷走神経)を起動するということになるでしょう。

この本を通じて<叱る依存>が個人的にも社会としても明確に認識されることで、この悪しき習慣から脱し、対話のあふれる世界にしていきたいものです。



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