小児期から成人期へ:移行支援と課題

コラム

伊那養護学校での上伊那圏域発達障がい診療地域連絡会シンポジウムに参加しました。

テーマは「小児期から成人期へ:移行支援と課題」

移行期がテーマということで、昨年の児童青年期精神医学会のシンポジウムでご一緒した伊那圏域のサポマネの松田さんにお声がけいただきました。

開始前の打ち合わせのときから、シンポジウム中、その後もずっとパネラーの皆で話していました。
その中で、いくつか気づいた点を備忘録的にまとめておきます。

移行期前後で告知や精神科受診に悩む?



小児科のドクターなどが診断の親や本人への告知や自己理解をどうすすめるかに悩んでいたり、学校のコーディネーターの先生や精神科への受診や紹介をどうすすめるか、障害者手帳の一つである精神保健福祉手帳をすすめるのに躊躇したりするという話題になりました。

しかし、自分の場合はそこで悩んだことはあまりないので、ちょっとびっくりしました。

ひょっとするとそこに躊躇する支援者や親は、障害当事者が劣った人、違う人、可愛そうな人と感じている差別の意識があるのではないでしょうか?

もちろん自分の場合は診察室に来るまでにそういったスティグマを気にしている場合じゃないくらいに切迫しているか、すでに発達障がいについては学んだりしてから来る、相手の捉え方を聞いてから伝え方を工夫しているというのもあるとおもいます。

診療では強みとともに特性を伝え、具体的な手立てと、それなりに明るい見通しを先行させて、親の会や当事者会などもすすめて仲間もおり、権利として支援も必要なら受ける準備もあってという段階で伝えるからというのもあります。

私自身、発達障害の当事者でもあり、さまざまな当事者や親と一緒になって啓発の企画を盛んにおこなってきた経験もあるからかもしれません。

もちろん現在進行系で二次障害で大変な人もいますが、発達特性がありながらも楽しく生きている人、不登校などでもいい感じでやっている、そして大人になっても楽しく生きている方をたくさん知っていること。

またたとえ困難な局面なときがあってもあってもチームで乗り越えてきた経験から、道筋が見えなんとかなるさと楽観的でいられ、深刻な感じにならないのが伝わるというのもあるとおもいます。

もちろん居場所や出番が見つけられず悲しい結果になってしまったことも幾多あるのですが・・・。

統合失調症にしろ、治療者が楽観的なほうが予後が良いという話もありますので、悲観的にはなりすぎないようにしています。
治りはしないが、マシになる。持って生まれたカードで勝負するしかないのですから。

また精神医療のスティグマに関しても以前よりは減ってきていると思います。

社会モデルで考える。医療の役割は少ないほどいい。


むしろもっぱらの悩みは急増する外来や訪問の精神医療のニーズに比して応需できないということです。学校や福祉事業所などに出向いての診察室以外での精神科医との面接のニーズも大きいと感じています。さらに、たとえ支援をうけるつもりで手帳をとっても受けられる支援、特に就労移行支援などの障害福祉サービスや障害者雇用などが今ひとつ使い勝手がわるいということが悩みです。

またトランジションに関しても連携にしても一つの道筋しかなく失敗できないとおもうから難しいのであって、フォーマル、インフォーマルの地域福祉が重層的多層的にあり、たとえガチャが外れても(リスク因子があっても)、何回でもガチャが引け、応援団が途切れないように複数おり、いい人に出会える確率(保護因子)を社会としてあげていければいいとおもうのです。

地域福祉は重層的多層的であるほどいいというのは佐久病院の清水茂文先生のおっしゃっていたことです。

そして、発達診療における医療の役割は、フォーマルな支援を保証するための診断やアセスメント、薬物療法はありますが、就労や自立をゴールとせずに本人の生存権と幸福追及権を保証する、途切れかけた連携が途切れないようにするセーフティーネットとしての役割はもちつつも、医療以外のリソースを増やすことと、医療モデルから、社会モデル、障害の文化もでるに変えていくことで医療の役割を減らしていくことができ、最終的には精神疾患や身体疾患、健康づくりに戻っていけばいいと思います。

医は医無きを期すです。


そしてインフォーマルな不登校などの親の会などからスタートした、NPO法人はみんぐが、今やフリースクールや、さまざまな課題をもつ50名の生徒をかかえる通信制高校まで運営するようになったのはすごいですね。(組織運営は大変そうですが)

松本にもユースセンター作りたいなあ。

https://kksc.org/

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